操作的時間割が青春だったのかも

中学の生徒の教室へ行くと

「本日の時間割」が黒板に書かれている。

 

「今日の時間割はハズレなんかな」と

なんとなく予想がつく。

 

聞けば予想通り。

「5教科の日」だもん。

 

ぼくが中学、てか高校もだけど、

バッドデイな時間割はもちろん

国 数 英 理 社

の5教科がみっちり詰まった日。

 

あれ生徒にとっては意味わからんよね。

 

なんなんこれマジで、と思わざるをえない。

なんで1日に主要教科が5つ揃ってるんだと。

オールバッドスターズもいいところだぜ、なんて。

 

 

「1年にO時間実施しなさいよ」というお国からのルールがあるから仕方ないのだけど。

 

 

でも、そんなバッドな日があったからこそ、ナイスな日もあったわけであります。主要教科が3教科、あとは美術とか体育で済む日の解放感ったらもうね、言葉にできないよね。

 

シンプルに楽しかったんです、主要教科外の授業が。

あの時代はまだ、「アクティブラーニング」とかいう言葉あそびすら存在していなかったもんで、基本座学。

あ、でも得意教科の英語と社会は座学でも余裕でした。

先生も好きだったし、頑張れば点数に出やすかったもん。

嫌いになる要素はなかった。

それ以外の教科は、もう、ね。。

 

一方で主要教科以外の授業はというと。

先生は特別、授業が楽しくなるような工夫はしていなかった。

それでも、悪いイメージはなかった。

便宜上ほら、自由に空間内を移動できたし、友達とわちゃわちゃお話できましたから。それに、好きな人を満足いくまで見ることができた。勝手にデートに行く妄想もできた。自分の世界に入る余地があった。

 

たったそれだけだったのに、すんごい楽しかった。

青春だったかもね、知らんけど。

 

 

上に書いた要素がどの教科にも含まれていたなら、苦手教科はもうちょい減らせれただろうし、なんなら「主要教科てんこ盛りDAY」にあそこまで嫌悪感を抱いていなかっただろうに、自分。

 

なんてことを思う。

 

懐かしいね。

 

とはいえ、時間割的に毎週1回はやってくる嫌な日があったから、そうじゃない日の幸福感がたまらなく好きだったのかもしれない。

だから今でもこうやってあの日々を青春扱いして、思い出に浸っているのかもしれない。

 

なんとまあ、

操作的なタイムスケジュールですこと。

 

すべては教員の

手の平で転がされてたのね。