「お前もOOにしてやろうか」おじさん
「俺の頃はOOだった。だからお前もそうすべきだ」と、新参に自分の過去のシチュエーションを強要する人、そういえば最近見なくなったね。
でも、そういう考え方に近い人は、
多かれ少なかれ、いなくはない。
強要する側は、おそらく、強要される側の人間に、過去の自分を映し出しているんだと思う。「あぁ、昔の俺を見ているようだ」みたいな感じ。
でも、心のどこかで、
「あのとき自分が味わった辛さを、こやつも味わないとダメだ」と、自分と同じ道を辿らせようとする。
すこぶる生産性が悪かろうが、
古くて意味のない慣習だろうが、関係ない。
あのとき自分が味わった辛さを、
どうにか経験してほしいのだ。
「あのとき自分は苦労したんだから、この人も同じように苦しんで欲しい。うまく行かせてたまるもんか」という腹黒い気持ちがあったりするんですね。
ここでスイスイと行かれてしまうと、もう変えようのない「過去の自分」を否定してしまうことになりますし。そりゃ、足を引っ張りたくなるよね。
そういう人が組織の中にいる場合、
管理者は速攻で手を打つ必要がある。
だって、「自分さえ良ければいい」という習性だから、その人の周りのメンバーのパフォーマンスが下がり、結果的に組織の能力が下がりますし。
『学び合い』的な考えをなしに対策を講じるとすれば、ぼくなら、
1.自然淘汰を待つ
2.組織からの異動・排除
がベターのように思える。
でも、仮に組織のトップが、「お前も..」という被害者増加切望者だとしたら、めちゃくちゃ怖いな、と一人ゾッとしてる。
てか、その組織は生き残れないだろうな、内部破壊により。
でも、例えばそうだな、
中途半端に生き存える公立学校では、
そういう人がトップに立っても
組織として成り立っちゃうんだよね。
余命宣告されてるはずなのに、
ずーっと動き続けれちゃう、そんな組織。