謝られる人も謝るべき要因があるはず

謝られることが、

昨日、今日と続いた。

 

ぼくは勤務先で、生徒会誌の編集を担当している。

(生徒や同僚に、ぼくは編集長なんだよと自慢している)

 

小規模校とは言え、なかなか骨の折れる作業です。

全学部のページを何度もチェックしなければならないので、パソコンと睨めっこする日々が続きました。目がブルーライトにだいぶやられたような気がする。

 

でもついに一昨日、長かった編集作業に終止符を打ち、製本会社さんへ原稿を持って行き、ふーっと安堵しているのも束の間。

翌日(つまり昨日)に一本の電話があった。

 

「見積書の内容とちょっと違っているかもです..」

と言われ、よーく見てみると、

サービスに含まれていないものを

勝手にあるもんだと思いながら原稿を渡していた。

 

シンプルにぼくのミスです。

 

会社側から見たら、勤務校は長年のお得意さんなわけで、「どこからどこまでサービス」かを把握したうえで、原稿を提出してくれるもんだと思ってたはず。

でもぼくは「お得意さん」としての暗黙の了解を他の先生に確認せずに、「お願いします!」と元気溌剌に発注していた。

 

お若い担当者さんが、

「私が説明不足でこうなったんです、申し訳ございませんでした」とめちゃくちゃ謝られた。

 

それが昨日の話。

 

 

 

今日は、週1で一緒に授業している

ALTに謝られた。

 

今年度も残り数回の授業となり、

「もうそろそろで終わりっすねー」

「あの生徒、ラストは泣くんじゃないですか」

なんて、授業の打ち合わせ後、談笑していた。

 

すると、「そういえば、」

と彼女の方から話を切り出した。

 

「私、結構、毎回の授業にこだわりを持ちすぎて、先生に迷惑かけてたと思います」「上から目線な態度とってたのかなって思うんです」「私そんな性格なもんで迷惑だったかなと。。」と謝罪の言葉を並べられた。

 

ぼく自身、1mmも気にしたことがなかったので、変に驚いてしまった。

 

「えぇ!やめてくださいそういうの!」

と謙遜した。

 

そして毎週ぼくと会うたびにそう思っていたのかなと考えると、逆に申し訳なくなった。

 

一連の出来事を振り返ってみるに、

謝られる自分にも必ず原因がある。

 

生徒会誌の件は上記の通り。

 

ALTの件は、

おそらく言語の壁だと思う。

 

ぼく自身、思いっきり中途半端に流暢な英語を扱うから、きっと星の数ほど心のすれ違いが起きていたはずで、ぼくの方こそ彼女を振り回していたのかなと思う。

 

メンヘラにならない程度に、もうちょっと内省してみようと思ったそんな日。

 

とにもかくにも、

謝られる方にも何かしら原因はあるはずだよって話。