「本番のための練習」は今も好きになれない
コロナ下ではありますが、
勤務校では運動会を実施予定です。
今のところは、ですが。
県レベルでは、まだそこまで感染者は多くないので、「実施可能っちゃあ可能だよね」という認識なんだと思います。
対策をしながら無事に終わらせたいですね。
そんな中、毎日のように本番の運動会のための練習があります。
動きの確認、段取りetc..
「本番」を太字にしてるのは、
ぼくの思いの強調です。
「本番のための練習って何よ」
と、思ってしまうのがぼくなわけです。
ナイストゥミーチュー。
練習が必要ってことは、
子どもたちが「心から運動会を楽しむ」にはフォーカスしてなくて、教師側の「運動会を見栄え良くするさせる」というエゴが働いているように思えるのはぼくだけなのかしら。
早い話が、「来ている観客を楽しませてね」という「見世物感」を否めない。今回の運動会は保護者以外は入場不可ではありますが。
「本番で起こりうる奇想天外」と「心から楽しんでいる子どもたちの姿」に価値があって、「本番のための練習」により創出されるものは、どこか歪だ。
本番を楽しむからこそ生まれる価値ってあるのになぁ、て思ってしまう。
この感覚は今に始まったわけではなくて、4,5年前の大学生時代からずっと疑問に思ってました。
一番搾りに価値があるじゃないか!
と。
だから、「研究授業の練習」「発表会のためのリハーサル」、それこそ「イベントの予行練習」等は、どうも好きになれない。
そういう性格だから、数年前に合格した
教採の二次試験(模擬授業)対策の練習は、
1mmもしてない。頭の中でシミュレーションはしましたが。
目の前に生徒役の面接官がいることを想定して、
体動かして、黒板使って、喋って、、
なんてできやしなかった。
それをやっちゃうと、ただでさえおもしろくない試験本番を楽しめなくなるし、本番だからこそ生まれる新しいナニカが失われそうで嫌だった。
学校の行事は基本的に予行練習は付き物だ。
これは場所が変わってもそう。
どうもぼくの性格と反りが合わない。
なんてことを言ってますけども、
「あぁ、一番搾りじゃなくなる..」
と心から落胆してしまうときもあれば、
諦めてすっと受け入れられる自分もいたりいなかったり。
この感覚、わかる人はわかるはず。
そうそう、なんでこういったブログの内容かと言えば、今日ひとりの生徒から、「予行練習ってやる意味あります?」という純粋な疑問をいただいたからですね。
いい疑問だね。
そういう「そもそも話」、ぼくは好きだよ。
なんて思いながら書いていたら1000字超えてたね。