手玉に取られる教師、一枚上手の子どもたち

この間のブログの続きになるのだけど、

coffeenchickensalad.hatenablog.com

お遊戯会、学習発表会、もっと言えば公開授業のような、外部からお客さんがくる催し物があると、決まって上層部は良いものを見せようと必死になる。

 

子どもたちから放出されるありのままのポテンシャルを、自分らのエゴとか好みで塗りたくり、あたかも「子どもたちだけで創り上げましたぁ!」を演出する。

 

いやいや、本当はそうじゃなかったでしょ、と

ツッコみたくなるくらいに。

 

年功序列なら歳をとればとるほど、

成果主義ならできればできるほど、

位が上がっていき、いろんなものが見えてくる。

その半面、いろんなものに板挟みになり、

言ってみれば、「世間の目」を気にし出し、取り繕う。

 

ほら、人によっては、

自分の昇進にも関わるじゃない、そういうのって。

 

「アノ人が管轄してるあの発表会、なんか微妙だったよねぇ」「子どもたちは悪くないの、先生の目が行き届いていないのよきっと」と言われるのが怖いのだと思う。

 

だから、子どもたちの作品を真っ向から否定し、

いろいろと手を加えて、「これ、子どもたちによるものじゃないよね?」となるような不自然で歪なものが出来上がる。

でも、手を加えた本人は気づかない。気づけない。

それどころじゃない。

 

全ては来てくれた人がどう思うかで、

どうゴマをするか、で頭がいっぱいだから。

 

子どもは二の次、が前面に出る。

「子どものためを思って」とは言いつつも。

 

子どもたちは鋭いから、

「ぼくらは教師から信頼されていないんだ」と失望する。

 

ぼくは圧倒的に「教師が生徒のものに手を加えるのに反対派」。

内容や形まで変えるなんて言語道断。

これが本当の「ナニコレ珍百景」でしょうか。

 

「言わせておこうぜ。大人に合わせてあげようぜ。ぶっちゃけた話、君らの方が大人だから」と、ぼくは子どもたちを励ます。実際そうですし。

手の平で躍らせておこうぜって。

 

 

子どもは教師の指示に素直に従ってるんじゃない。

あくまで合わせてあげてるだけ。

ここで折れないと二進も三進もいかないから。

 

指示が通ったからって教師が誇ってる間に、子どもたちは「これであの先生もご満悦だね。シメシメ。」と思ってるから。