年齢関係なく、黒歴史は層を増す
どんなに年をとっても、
ぼくは過去の自分に
恥ずかしさを覚えるんだと思う。
それも、ずっと、死ぬまで。
例えば、中二病(厨二病)ていうパワーワードがあるじゃないですか。いわゆるいろいろと「イタイ」時期ですね。
性格、態度、発言、所作、、
すべてにおいて、もうイタイんです。
あの時期って、大学生になったあたりで、
「あの頃の自分、恥ずかしい」
て痛感するわけじゃないですか。
27歳を目前にした今では
なんとか笑い話にできるのですが。
その病を終えれば
もう大丈夫かというと、
そんなことはない。
イタイ時期は、ずっと更新されていく。
過去を振り返ってみるか。
20歳でカナダに飛び立ち、英語圏の暮らしに生き生きとしていた過去の自分。
あの頃の自分にも、恥ずかしさを覚えている。
だってやたらbi*chとかfu*kingとか使っていたんだもん。
格好いいと思っていたんだろう、
自分が放つ英語の中に混ぜておくと。
22歳時の教育実習での自分も恥ずかしいと思ってるよ。
海外生活とかTESOLの免許を持っていることで天狗になり、実習担当の先生を圧倒しようとしたり、どこかでマウントをとろうとしていたり。
素直に、学べるところは学べばよかったのに。
なぜあんなに好戦的だったのか。そんなに尖がるなよ。
担当の先生は良い先生だったのに。
過去の自分、
そうだな、高校生段階で、ぼくは
「20になれば、そういうイタイ時期はもう来ない。」と思っていたけど、そんなことはない。冒頭でもお話ししたけど。
どんどん降り積もっていくんだと思う、黒歴史ってのは。
きっと、26歳にしている現在の行動は、30の未来の自分は目を合わせれない過去になっているだろうし、40歳でするであろう行動は、50になると突如として、「過去の自分はなんて幼稚なことを..」と嘆くに違いない。
年を重ねたところで、その瞬間ではベストだけど、
未来では、ただの恥ずかしい過去になるのを知っている。
何をしても、きっと。
そう考えると、
あんまり一つ一つの行動を
思い悩まなくてもいいのかなと気楽になれる。
だって、格好をつけても
控え目になっても、
エネルギッシュになっても、
未来の自分が笑ったり嘆くだけですもんね。
きっと、今書いているこのブログもその対象になるんでしょうね。
いとをかし。