大学院時代の好きだった文化

今、教育現場に出荷されて2年目ですが、

大学院のゼミ時代のアノ文化が良かったなぁと、

つくづく思わされるものがある。

 

それは、「本当に重要な案件は指導教官が、それ以外はゼミ生にどんどん流れてくる」というシステム。

 

本当に重要な案件というと、

例えば、指導教官しか対応できないもの。

研究室の予算とかそういうのかな?あんまり詳しくないけど。

あとは、教官の個人的な仕事。

 

そしてそれら以外のほとんどすべての業務が、ゼミ生に流れてきていた。

 

全国からやってくるお客様対応。

飛び込み授業の受付。

予算とは別のお金が関わってくるプロジェクト。

本の制作。

その他たくさん。

 

「じゃあ、あとはよろしく。」

「もう委託したから俺は記憶から消すね」

 

そんな言葉を言い残して、

西川先生はその場を去っていくのがお決まり。

 

あれはあれで、

すんごく好きだった。

 

「あぁ、任されてるんだ」

とか

「自分の好きなようにやってみよう」

とかさ。

 

他のどのゼミにもない文化だったのは確か。

だいたいは管理的でしたもん。

 

もちろん、何かものすごく重大なトラブルがあったなら西川先生が責任を取る。強力なバックは健在だった。

とりあえず自分たちで自由に対応してみてという、そういうスタンス。

 

今は、そういう環境からかなりかけ離れている。

というか、これが学校という組織のスタンダード。

 

県から降ってくる情報。

管理職が必ず書類・案件の内容に目を通して、そのうえで割り振ってくる。

ここまではいいのだけど、

割り振られた仕事に途中から横槍が入ることはしばしばだし、せっかく作り上げたものでも、容赦なく「こうじゃない」と訂正が入る。

で、「思ってたんとちゃう創作物」が完成。

 

最初からそちらでやったら?と思わずにはいられない。

 

それと、管理職は「中継的な役割」もあって、

これがまた煩わしい。

例えば、県の命令に対して直接的に動くのは、ある一人の教員だとして。

そうすると、

県教委→校長or教頭→ある一人教員

のような伝達方式になる。

 

ここに中継があることで、

時間のロスが生まれる。

 

「やっほー」と言ってから10秒後に

その「やっほー」が耳元に聞こえてくる感じ。

たった10mしか離れていないというのに。

 

それに、漏れが生じるリスクだってある。

当の本人に伝え忘れる、みたいなさ。

 

まあ、県の教育委員会

そう決めてるから仕方のないことなのだけど。

 

ただ、効率の悪いシステムだよなって、

嫌気がさすなぁ。