あのときの授業スタイルと自分
昨日からこちらのチャンネルを観るようになった。
チャンネル登録者数は5300人ほどだが、
歴史をコンパクトに、かつ、わかりやすく説明してくれてるので、観ていてめちゃめちゃタメになる。
また、動画作成者の主観的なコメントがなく、ありのままの事実を伝えてくれてるので、湧きおこる自分の感情と向き合える、そんな感じ。
動画のアップロード数がこれからどんどん伸びていくといいなあ。
こうゆう動画は、学校で50分間拘束されて行われる「教師1人語り系つまらない授業」を受けるより断然いいと、どうしても思ってしまう。
動画視聴で学ぶ方が、ドップリはまれるよ。
家でこうゆう動画を見て、次の日、学校で生徒と意見交換的な授業で事足りる。
ま、「これについて観てこいよ」と、
指定はしたくないけど。
学びは自由であってほしいしさ。
そういえば高3時代の日本史の話を少し。
10年前に通っていた高校の授業は、当たり前のように「THE 板書授業」が横行していて、日本史の授業もその一つだった。
次の授業までにワークの指定ページを宿題としてやってきて、授業中に教師が生徒を当てて答えを言わせる。で、その用語を説明をしながら進める、そんなむちゃくちゃつまらない授業。
性格は温厚だけど、腹黒さはあったから、せめてもの抵抗をと、本屋で見つけたおもしろい日本史の本を授業中に読みながら、一時期は過ごしていた。
ま、バレましたけど。
何をやってるんだ、と。
すみません、と謝って、また、いつものつまらない授業スタイルに戻した。
今だから思うこと。
よくあの先生は、
壊滅的なあの授業で教師やってられたな。
なぜ周りの生徒はあの授業スタイルに
従順だったんだ。
なぜぼくはもっと積極的に抵抗しなかったんだ。
おかしいよねこの授業スタイル?
なんで足並み揃えて、みんなと同じペースで進めないとダメなんだよって、周りの友人らと意見交換しなかったんだろう。
なぜ?
という後悔と憤怒が
今さらになって湧きおこる。