教師は生徒の何者かになりたい
自閉症の子は、個人差はあるけど、自分の知らない他人と関わるのは、まあ好まないんですね。特性ってやつです。
基本的には、何事も「初めて」が苦手なため、「初めての人」とそれなりにコミュニケーションが取れるようになるためには、それなりに時間が必要で、要は一緒にいる時間を増やせばいいんですね。もちろん、好き嫌いあるので、むやみにその時間を増やしても、結果にコミットするとは限らないのですが。
嫌いな人と一緒にいても、まるで拷問ですしね。
ぼくは自閉症の子を付きっきりで担当する授業をいくつかもっているんですが、今日、その授業に1分だけ遅刻した。職員室で他の教員と別件の話をしていたため、やむを得ず。
で、授業場所に走って向かうと、
その子が途中で出迎えてくれた。
その子から嫌われてるわけでもなければ、「むちゃくちゃ好っきゃねん!」と思われてるような印象がなかったので、その瞬間を目の当たりにした時、心の中でガッツポーズをした。
「自ら迎えに来てくれるくらい、ぼくはこの子から好かれているんだな」という単純な指標で、テンションが高まった。
本当は良くないのだけど、「もういっそのこと、ぼくにだけ懐いてほしい」という本音も自分の中に垣間見られた。
他の教員じゃなくて、ぼくに一番依存して欲しい、みたいなそんな感じ。
ぼくがいなきゃまるでダメ、みたいな。
でもこれはサイコパス的な考えとかではなくて、人間がもっている承認欲求の表れです。
人間だれしも、誰かに必要とされたいじゃないですか。
ぼくは自覚しているから、「おっと危ない危ない」となったから良いけれど、「これは承認欲求だ」と割り切れないと、事故るったらありゃしない。
小規模校だと、教師が生徒個人で対応することが多いから、濃ゆい愛着が湧くんだよね。特別支援学校だと、障害の程度に応じて、それこそ個別対応がほとんど。
教師は生徒にとっての何者かになろうとしがち。
こういう学校に来て実感するよ。
あぁ、今、自分は浸食されていってるなぁって。
「対集団でこその教師」に早くなりたい。