多分そうやって埋もれていく。
朝、学校に行くと、
机の上に数多の書類が重ねられていた。
14時〜から3時間の年休を取って帰った昨日。
そのたった3時間で、自分に回ってくる回覧や自分宛の起案・手紙があって、「あぁ、学校は回り続けてるんだなぁ」と、なんとなく感激する。不思議な感覚だよね。
その中に、給食の支給表があって、事務の方から訂正があった。「この日、この生徒には給食が支給されたことになってるけど、合ってますか?」というコメントがあった。
合ってはいるのだけど、
なかなか鋭い視点のご指摘だった。
ナイス確認だなと。
基本的には給食が終わってから登校する子なので、給食の支給がある日がむしろ珍しいからだ。
この事務の方だけだった、こうやってわざわざ確認してくれたのは。
この支給表に目を通した2、3人からは特に何もなかった。
ま、なくても良いんですけど。
「ないのはおかしいだろう!」というつもりは毛頭もない。
そういえば起案作業をしていると、小さなミスはいつも管理職という最後の砦で指摘される。
自分が主務者だとしたら、2人ほどの第三者の目を通り抜けてるわけで。
そんなことを考えると、
起案で本当に目を通しているのは、主務者とそのレジュメに関係のある先生(管理職とか)だけで、案外無駄な仲介者が入っているような気がする。
見なくても良いけど、立場上見なくてはいけない、そんな役職ってあるじゃない。
ダイレクトに管理職に見てもらえたら良いのに、と思う。
「自分がミスを見つけなくても自分より後に見てくれる人が見つけてくれるさ」という慢心が働くのはなんら不思議なことではないですし。
かと言って、起案という工程に第三者の目を強化したところで、起案が途中で「頓挫」して、自分のところに戻ってくるのは火を見るより明らかなわけで。
いろんな人の目が働くと、取るに足らない部分を指摘されるもんじゃない、審査ってものは。
特別、現行の起案システムより良いものはポッと思いつかなないし、思いつこうとも思わないから、「このシステム、おかしいですよ!」と言うつもりはない。
でも、こうやって「根本的に変えるべきシステムエラー」に慣れていくのかな、自分は。