卒業式の練習後、不意にマニフェストを語る

卒業式が近いですね。

 

卒担なもんで、今日の放課後、関係教員たちを集めて(厳密には「集められて」)、卒業式の始まりから終わりまでを一通り確認した。

 

30分かかったのだけど、「この内容なら、やらなくてもよかったのでは?」「これに30分はかけすぎじゃない?」と、僕個人としては強く思った。

 

5分~10分で終われただろうし、なんならわざわざ体育館に集まらなくても良かったのでは、とさえ思っている。

 

だってコロナ禍とは言え、

どうせ注意点は去年と同じじゃないですか。

 

特別変わるようなことはないはず。

それなら録画しているだろう去年のものを各自で見て、「あ、こんな感じね」と確認する程度にして、のちに本格的にするであろう練習で合わせをすればよくないすか、と思った。

 

 

式の練習中は、

「てかそもそもなんだんだ、卒業式の練習って。」

と、ずーっと考えてた。

 

所詮、これもただの見世物か、と

心底興醒めしていた。

 

小学校から変わらないな、こういう形式的な儀式に対する不満は。

 

 

帰り際、年齢の近い教員に、「これに30分とかありえないですよ」と一方的に話していたら、角を曲がった前方5m先に校長がいた。

廊下に並べられた暖房器具を見ていたけど、もしかしたら聞こえていたかもしれない。

 

まあ、いいか。

 

喧嘩腰にならないように、「なんなんですかね、練習ありきの形骸化された儀式は」から、堂々と持論を展開できる自信があるし、「青いねぇ」と対応してくださるだろうし。

 

 

でも、ぼくは本当に、こういう学校文化に根付いてるセレモニーの文化はいらないと思ってるし、もし管理職的なポジションに将来就いたなら、いずれ合法的に抹消するつもりでいるよ。

 

 

「美しくない」って言って。