「授業は結局シェフ次第」とならないために

授業って、教師目線で考えれば一種の料理みたいなもんだと思うんですね。

 

良い材料(教材や教具、というか教科自体)が揃っているのにそれを台無しにするシェフ(教師)みたいな。

なんでこんな料理(授業)になるん?みたいな。

逆も然り。

悪い材料であるにも関わらず、むちゃくちゃ良い料理を提供できちゃう優秀なシェフもいます。

一般的に難しいとか嫌われている教科、ま、これは人に寄るんだろうけどぼくの場合は数学かな。

 

自分の中高の経験談はまさにこのシェフ理論だった。

 

英語は中1の秋まで、本当に点数がとれなかった。公立の定期テストなイージーなはずなのに、60点もとれなかった。40点もザラにあった。

でも、当時の英語の先生の「個別指導」で考え方がガラッと変わり、モチベーションがすこぶる上がった。

中1冬からは成績がぐーんと伸びていって、なんじゃかなじゃで今に生きている。

 

数学はその傾向にどん底が加わった感じ。

高校入学時まで、平均点50未満。

でも高1のときの数学担当者がそれはそれは教授法が良くて、程よくスパルタで、気づいたら数学がそこそこ好きになっていたし、成績も定期テストでは8割取れるようになっていた。

高2になって担当教師が替わってから、

ガタ落ち。

シンプルに楽しくなくなったし、

解説が全くピンと来ない日々。

 

 

「教師のおかげで変わった人」

もいれば、

「教師のせいで変わった人」

が児童生徒の中には一定数存在するのは確か。

 

一方で、「子ども(たち)や自分の力で変わった人」も中には一定数いると思うんですね。

 

無駄に教師の干渉がなかったから自分のペースで学べて、ポテンシャルを発揮できました、みたいな。才能開花しました、みたいな。

もちろん、教師による「きっかけ」が少なくて自己改革できないパターンもあるでしょう。

 

だから教育論には正解がないと言われるんだろうな。

 

でも、「どっちも正解だしどっちも不正解」なら、ぼくは後者のスタンスを取り続けたい。

 

その方が、個人的には、

長期的な目で見れば、

まだ可能性を秘めていると思うし。

 

シェフ(教師)に任せた自分の学生時代を思い出して。