自分にはあるあるな話

「この人は信用しよう」と最初に誓った人が、時間が経てば「実はそうでもなかった」となることは多々あるわけで、そのときの感情の処理がそれなりに面倒くさい。

 

ジワジワと「そうでもなかった」という方向へ皮が剥がれていくので、ショックというものはでかくなく、むしろ皆無。

ゆっくーりと分かり始めるからなんだと思う。

 

でも、「信用しよう」と誓ったときの自分を思い出し、「なんて青いんだ、あのときの自分」となるため、そのときの感情と向き合うのに体力が要る。

 

ドクロが描かれたシャツをカッコイイと思ってた小6の自分を思い出すような、山Pみたいに襟足を良い感じに伸ばす髪型が素敵と考えていた高2の自分を思い出すような、そんな「イタイ自分」と向き合う感じ。

 

「そういう人かもしれない」という可能性を無視して、「今が良ければそれでいい」論を信じた結末がそれなんだと思う。

 

こんなこと書いてると、「なんか人間関係であったの?」と思われて「匂わせ」とか「メンヘラ」とか思われちゃうから嫌なんですけど、全然タイムリーなこと書いてるつもりはなくて、「そういえばさ」と、どちらかというと過去を遡って綴ってる、そんな感じだね。

 

この人だ!と直感的に尊敬し、

鼻穴を広げてエッヘンとしていた自分が、

実は間違っていたけど、まあ、そんなときもあるよね

っていうただそれだけのブログっす。

 

そういう過去の自分もいたんだけどさ、

と心の棚にしまう、そんな備忘録的ブログ。