その手札で勝負しないと

「次年度に自分が担任を持つんだろうな」というクラスの子と話していると、「OO先生だといいなぁ」とか「OO先生じゃないと学校行きたくない」と、ぼくではない別の先生を指名された。

 

まだ、わかんないんですよ、実際。

でも、なんとなくわかるじゃないですか、直感的に。

それと校長と話していると、なんとなくさ、わかるじゃない。

 

その生徒からは嫌われているわけではないし、むしろ良好な関係は築けているのだけど、「どちらかというと、OO先生がいい」と、言うことだろうと察する。

 

ただ、担任の先生が自分の理想の人じゃないってだけで、「はい私の学校生活もう終わり~」となる生徒に育たないようにしようと、心の底から思う。

 

まあ、何もかも嫌になって、ヤケになって

言っているだけだと思うけど。

 

いずれにせよ、もしそれを本気で言っているとしたら、その考え方を根っから正す1年にしたいよね、担任として。

 

じゃないと、自分に非があることに対しても、「全部自分の環境が悪いんだ」と結論付ける癖ができちゃうじゃない。

環境はむちゃくちゃ大事なんですけどね。

ただ、環境を自分で作る力も重要だと個人的に思うかな。

なんでも提供されると思ってちゃそれは大間違いで、自分なりの味付けと言うかカスタマイズは必須なんですね。

 

 

フランス料理店に行って、「つまんない。らーめん食べたい。」と言ったところで、「じゃあ、他の店へ行ってください」て話なわけで。

自力で行きたいらーめん屋行けるならいいけど、そういう状況じゃないとして、自分の力じゃ行けないって場合、じゃあどうするの?てこと。

 

この例えは余分だったかな。失敬。

 

 

そうそう、ぼくが好きなスヌーピーの名言にこんなのがある。

 

You play with the cards you’re dealt.

(配られたカードで勝負するしかないのさ)

 

 

もし、その子の担任になったら、

この名言を引用していろいろと話そう。

 

「そんなんじゃ社会で通用しないよ」という使い古された上に言われたら心にグサッと来る言葉を使わないで、でも、「そのままじゃダメだよ」と遠回しに伝えたい。