「も」という学校文化
ネットで「学校の先生の一日」みたいなの見るけど、教育委員会が提供しているものも含めて、定時を余裕で過ぎてるブラックな働き方を露わにしていて、「あぁ、ここまで来たか」と悲しくなる。
ぼくが勤務している学校は特別支援なもんで、比較的ゆるい。
小学校や中学校から特別支援に流れてきました、という人の意味がわかった気がする。
全ての特別支援学校がそうとは限らないですけどね。
「前任校は本当に忙しかったよ、ここは緩すぎる」と豪語する特別支援学校の教員もいるけど、それは自身の働き方や価値観にこだわりがあったからでしょうし。
学校全体が忙しいところもある。まあ、それは管理職の腕に癖があるからだと思う。
そういう点を踏まえると、
「忙しいところもある、でも全体的には緩めだよ」とぼくは思いたい。
あ、でも、普通校勤務のつもりで教採受かった自分から言わせてもらえば「全体的に生徒に対してちょっと過保護なのかな」と、この学校に対しては思う。
そういった特有の文化が蔓延っている気はする。
カルチャーショックは初年度受けたけど、自分の中で「この支援はいらないよね」と確信したものは指導教員のアドバイスをスルーして取り除いてきたので、今はそこそこストレスフリーっす。
もちろん、「個人」or「全体」で解決するものとでは自分の考えの通りにくさと言ったら桁違いで、そのときは泣く泣く長い物には巻かれてますが。
それでも今、公立学校業界で取沙汰されているブラックからは程遠い、そんな職場環境。
部活も定時の20分前には終わるし週2回の輪番制だし比較的緩い活動なので、顧問拒否に踏み切ろうとは思わなかった。
業務内容もシンプルで、
今年度もメインは授業。
負担感は、
授業:生徒指導:分掌:部活
=5:2:2:1
かなと、ぶっちゃけた話。
そうそう、話は戻って。
「学校の先生の一日」に業務内容が書かれてあるんだけど、「こんなことやってるんだ」というのが結構あった。
「宿題のチェック」とか「日誌のコメント返し」がなんか自分の中では「なんで?」と思う。「これらに時間を取られるため、空き時間にやってます」と書いてあったりするけど、「じゃあやらなければいいじゃん?」とドライに心の中で突き返す自分がいる。
多忙を味わいたいのか、
多忙の渦中にいる自分に酔っているのか、
はたまた同調圧力なのか、それはわからないけどさ。
いずれにしても、「そういう教育もありだよね」という受容的考え方が学校文化に根付けばいい。
「これはしちゃダメ」「これはみんながやらなきゃいけない」という横並びの指導とか教育観が取り除かれればいいのになんて。
もっとこう、時間内で結果を出すという「成果主義」に目が向けば、自ずと「ショートカット」が常識になるだろうし。