それ死活問題っす
授業中に児童が「これやりたくない」と自分の授業内容の一部を拒絶することがある。
ぼくとしては、人間だれしも合う合わないはあると思っていて、それは仕方ないことだと割り切ってるので、そういうときは決定権を与えるようにしてます。
「じゃあ何をやりたいの?」と聞くんですね。
そうすると、「わからない」と返ってくる。
「??」となる。
「これはやりたくない」と言うということは、何かしら「やりたいことがある」はずなのに、「わからない」というレスポンス。
自分の気持ちを言語化できない様子。
ぼくの完全な教育観なのだけど、「代わりに何をしたいのか」を言語化できない人に、「したくない」「やりたくない」を言う権利はないと思ってます。
「5分間ボーっとしたい」でもいいし、
「外に出たい」でもいい。
自分の「したい」を言葉に乗せられる能力が確かにあるのに、それができないって致命的だなと思うんですね。
とはいえ、もしかしたらその子が本当に「自分の感情を言葉にする」能力が皆無ってこともあり得るので、そこは次回の授業で見極める必要があるなぁと。
「ないのに出せ」と要求するのはあまりにも乱暴すぎるので。
「生きるか死ぬか」ではないけど、
「黙ってやるか、それともやりたくない理由とやりたいことを言語化するか」のどっちかなんですよ、世の中。
案を否定するなら代替案を出してみろ、と同じ原理。