そこに生徒がいないおかしさ
学校文化における「根本的にズレてるなぁ」と思うところは星の数ほどあるけど、今パッと思いついたのは、「会議に当事者である生徒が居ないこと」かなと。
例えば部活動顧問会議があったとして。
今後どのように運営していくかを話す場に、プレイヤーの生徒がいないって実はおかしな話なんですね。
顧問が部活動をどう運営するかよりも、
まずは「生徒の気持ち」を聞かなきゃ意味がないんです。
生徒の「もっとこうしてほしい」をベースにした会議ならまだわかるけど、「大人の事情」が前提条件であって、そのうえで「じゃあどう運営していく?」はお門違いもいいところ。
成績会議なんかもきっとそう。
授業をする側の教師たちだけで話し合ったところで、所詮は「話し合ってる風」なんですね。生徒の教師に対する要望もそこではこれまた「大人の事情」で届いていなかったりする。
「なぜあの子が授業に集中できないのか」
大人だけで話すんじゃなく、
子どもに耳を傾けた方が、
よっぽど価値のある会議になると思うけど。
そういう点では、「そもそもここに子どもたちがいないのはおかしくない?」という会議は、馬耳東風。価値のない時間だと潜在的に認識してるせいか、会議の内容をほっとんど思い出せないこと、ぼくあるある。