2種類の管理職
経験上、組織で「何かしよう」となったときに、真っ先に個人が「それをやらないためにはどう足掻こうかしら」という感情が湧きおこる場合、その組織は管理職や上層部による行き届きすぎた管理システムがエラーを起こしてる思う。
何か大きなことをするのって、
必ずはじめは「個人」からスタートする。
で、どんどんメンバーが増えていく、
そんなイメージ。
その大きくなっていく過程で、上層部が途中でちょっかいを出す。「もっとこうした方がいいんじゃないの」というアドバイス混ざりのお節介。
それが、「面倒になってきたな、やらない方がマシかも」という感情を引き起こすトリガーになっていると思うんですね。
それと上層部以外の要因としては、
「同調圧力」なんかもそれに当たるのかなと。
個人、あるいは関係者数人で回すなら、どうぞご勝手にで済むのだけど、あたかも「これはみんなでやるもんだよ」という、「形骸化したチームワーク」なんかが生まれちゃうと、人によっては飛び火。
「なんでだよ」と。
「そもそもそれ意味ないじゃん」と。
そういった攻撃的な感情が芽生えちゃう。
「自分で決められる」という権利・文化が保障されていないと組織って回らないよねっていう話でした。
そういえばVoicyでたいろーさんの話を聞いていたらこんなものが。
https://r.voicy.jp/LpoKMv7OmNQ
今のAI時代、日本と米国の管理職事情が変わってきているんだとか。なんでも、価値が真逆になってきているそうで。
米国では管理職はAIに置き換わってきているのに対して、日本ではその流れが来ていない。
薄々気づいている方もいるかもしれませんが、管理職って2つのタイプがいます。
タイプ1が「業績を管理する人」
人の管理・責任を負っている管理職です。
本来のTHE管理職です。このタイプはAIに置き換わらないっす。
で、タイプ2が、
日本特有なんですが、「情報だけを管理する人」
上層部からの決定事項を自分流にアレンジしたり、あるいは部下の考えを部分的に切り取って上層部に伝えるタイプ。
あたかも、「働いてる感」出てますが、
実は蛇足なのかもしれない。
介在価値が低いんですね、実は。
なもんで、米国ではそういった管理職は淘汰されている。
学校現場で働いていると、
思い当たる節があるなぁと、
興味深い内容でした。