自分を犠牲にしちゃ本末転倒な教育

月に1回くらいの頻度で、

古本屋に足を運んでいる。

 

掘り出し物があったりして、

好きなんですよね。

 

えぇ、これが数百円!?となる本があったりするので、定期的に通うようにしている。仕事帰りにサクッと寄れる立地ってのも、でかいですね。

 

そんなこの間は、『夜回り先生』で有名な水谷修先生の本を見つけて購入。教育者でありながら、水谷先生の本は一度も読んだことないんですね。

たまたま見つけた本が『夜回り先生の卒業証書』というもの。

縦書きの日記のようなもので、110円でした。

 

クオリティが低いってわけではなくて、シンプルに20年近く前に出版された大変古い本だから、この破格の値段なのかなと。

 

日々の夜回りの中で出会った小中高校生のことについて綴られていました。

 

薬物中毒、リストカッター、売春、虐待..そういったものに苦しむ全国の子どもたちの話。どれもぼくの人生には今のところは無縁なものばかり。

それでもこの日本で、少なくとも20年前には実際に起きていたことなんだと思うと、なんだか別世界の話をされているような感覚とともに、怖さ半分、そういった生徒を担任として受け持つことなくて良かったという安堵の気持ち半分といったところ。

 

夜回りを通して水谷先生はそういった子どもたちを救おうとしていて、自分には到底できないことだなぁと思いながら読んでました。

 

度胸があるなぁって。

 

ぼくは、自分の生活(家族含む)を犠牲にしてまで、多くの子どもたちは救えないし、それこそ本末転倒だろって。

 

自分の生活第一だと思うんです、ぼくはね。

 

自分の生活が保障されたうえで、人を救うのが理にかなっていると思う。もちろん、子どもたちのために、できる範囲で無理はします、あくまでできる範囲で。

 

だから、どのドラマとかはあえて伏せますが、自分の生活・命を失いかねないリスクを背負って、一人で生徒(たち)を救おうとする教師に、憧れは1mmも抱かないです。

小学校のときとかは「かっけぇ!」なんて思ってましたが、今はもう違いますね。

 

「無謀だな」

とか

「そうじゃないよね」

とか、冷めた目で見てしまう。

 

多種多様なつながりを活かした救い方になぜ舵を切らないのか、とぼくは思うわけであります。まあ、その多種多様なつながりも、あらかじめ丁寧に紡いでおく必要があるんですが。