「定時退勤は当たり前でしょ」が血肉となっている
そうそう、昨日のブログの延長話をば。
昨日残業をしたと書きました。
19時までですよ、いつもより2時間長く働いちゃったのよ。
小学校や中学校で働く友人からしたら19時は早い方なんでしょうね。
残業知らずの自分とは話が合わない気がする。
今の勤務校には新採からずっといて、今年で3年目。
「なんで残業なんてしないといけないの?」
「定時で帰るのが普通でしょ?」
という当たり前の文化が体に沁み込んでいるため、次の学校に行っても権利を主張すると思う。
定時までに終わる業務量なら良いけど、
そこを無視しているようなら、
相手が管理職であろうが話し合いに持ち込むと思う。
それこそ、朝6:40から勤務を開始するような自分が、朝の読書や勉強をやめて、学校の業務をするとするじゃない。それなのに日中の空き時間、普通に働いてるのに定時で終わらないってのは、完全にバグってるわけじゃないですか。
そういう点では、「当たり前の思考が血肉となっている今の自分」が、ここの勤務校で得た最高の財産だとも思える。生徒との出会いはもちろん。
そんな昨日、残業していたのは、
来年度使用予定の教科書採択の手続き書類を作成していたから。
県から届かないと業務が前に進まない重要な資料が昨日やっときた。
それなのに提出期限は土日を入れて5日後。
電話で、提出期限が延長されることを期待して、「(こんなに遅めに資料が届いてるけども)提出期限は変わらずですか?」と質問すると、「はい、お願いします」とすまなそうに言われた。
担当の方もきっと学校と上層部の板挟みなのだろうなと心中お察しし、流石に文句は言えなかった。
そんなこんなで、部活や校内研修、昼休みの空き時間をぬって書類を作成していた。
それでも、終わったのが19時。
それでも定時帰りが常態化している自分には、爽快感があった。
不思議ですね。
自分が少しでも納得できるような「やらなきゃいけない仕事」なら、ぼくは残業してもストレスを感じないのだと思う。
もちろん、「なんで大事な資料配布がそんなギリギリなの?」とか「ペーパーレスのこのご時世、まだこんなやり方続けるの?」という不満はありますが。
自分が納得できない仕事で残業となると、数日は理性でなんとか耐えられる。でも、4日目くらいから発狂すると思うなぁ。
自分の時間と他人の時間をゴッチャにしちゃダメじゃん
時間をかける割には大した成果出てないじゃん
そもそも需要ないってこの業務
代替案出すからやめようぜこの業務
効率が悪すぎる、もっとシンプルにしよう
以上の気持ちが、「重要さ」よりも勝ったら、ぼくは残業にストレスを覚える。
ここからは雑記。
個人的にやってみたい、サドスティックな学校見学があって、あ、もちろん本気で実現しようとは思ってないけど、そういうツアーみたいなのがあればしたいなって。
それは、21時まで働くのが普通の「不夜城の学校」に行くんですね、1日パックの。で、教員の業務内容を見ながら、逐一、「その業務、意味あります?」「なんでそんなアナログなやり方なんですか?」と、いちいち言葉を選ばずに質問できるもの。嫌味は一切なくて、「ムダな残業につながる業務と思われるもの」について、シンプルに質問したいだけ。
ほら、「赤ちゃんはなんで時折一点を見つめるのか」とか「鳥はなんであの小さな羽で空を飛べるのか」とか「風ってどういう原理で吹くのか」とか、それと同じような疑問。
「そもそもそれは何につながる業務ですか?」を徹底的に問う、そんな学校見学。
可能なら管理職ともお話して、「この学校の教員の働き方は長くは続かないと思うんですけど、この杜撰な管理システムについて考えを聞きたいです」と、1時間だけでもいいので議論したい。
3万円の参加費でも払うと思う。