「授業における魅力」は自分には響かない
Youtubeのアルゴリズムはすばらしくて、自分の検索履歴に応じて「この人、こんなんも興味あるんちゃう?」と自分の興味関心に沿った動画をポイと提供してくれる。
一種の個人情報を他者に知られているけど、まあ、これくらいならいいかなぁとも思う。
さっきたまたま開いたYoutubeに、「先生の魅力」を伝えることを目的とした、ある自治体のショートPR動画が出てきた。まあ、自分も一応教員だし、出てくるもんなのかしら。Youtubeは怪談とか都市伝説、スポーツやお笑いといったエンタメメインで観てるから、教育系が出てくるのは珍しかった。
4分程度だし観てみるか、と再生。
「キラキラしてるなぁ」が第一印象。
撮影に協力してくれてる先生を映した動画なんですが、THE・教師っていう感じでした。
授業の様子が映るんですが、
「うわぁ、子どもたちに手挙げさせてるぅ」
「授業中なのに一人の生徒に一生懸命、説明してるぅ」
と、動画を観ている自分が、恥ずかしさに近い感情を覚えた。
一斉授業形式で生徒を従えることに魅力を感じていた、20代前半の若い自分を見ているようで、すごく恥ずかしかった。
この感情をたとえるのにドンピシャな表現は、「『半ズボンデニムと背中に翼を生やした白いポロシャツコーデが最高に格好いいと思ってた中3の自分』を見ているような感じ」だろうか。中学生だったら、こういう時期あったんじゃないかな、特に男子は。
でも、それくらい恥ずかしいものだった。
今、その動画を観るとこうやって取り乱してるけど、観る時期さえ間違っていなければ、「おっしゃ、教師目指そう!」と一つのきっかけになってたと思う。
あの頃は、「魅せる授業力」に一辺倒でしたし。
どういうテクニックを使えば生徒を引き付けることができるか、それだけを考えていた。あの頃って、教育現場に出るよりもずーっと前の話。大学生の頃だね。
でも今はそんな「魅せる授業力に思い焦がれていたあの頃」を、「頼むから掘り返さないでくれ」とさえ思う。
内なる自分が、自分に対して言いますもん。
所詮一人の教師。
お前が教えるもんはネットにいくらでも転がってんだよ。
そんなもん、得意げに教えんなや。
そして、できる人できない人を一緒くたにして、
教える時間も教える内容も拘束するってどうなのさ。
教師が学校でするべきこと。
それは「学びの中で、子ども同士がつながる環境を整備する」
それが教師の仕事でしょうよ。
そんな声が聞こえる。