オンラインで不登校支援

時代も変わってきていて、「不登校」という呼び方に対して、「そんなマイナスな呼び方、いい加減やめようぜ」という風潮が強くなってきている印象。「自由登校」とか「学校に行かないという選択」とか「登校拒否」など、いろんな呼び方が出てきました。

 

まあ、捉え方・呼び方は人それぞれなんで、そんなに強く好戦的に反応しなくてもいいのになと、個人的には思っています。

某番組で吃音症の芸人をイジったら、吃音協会が「それはあかんだろ!」と抗議するも、芸人本人は「いや、逆においしかったです。また番組出たいです!」というコメントがあったような、そんな空振り感と似てるような気がしなくもない。

 

「当事者がどう思うか」だよなって。

 

妻を意味する嫁とか女房とか家内という言葉も、「家事をする人」「使用人」という意味が元々あって、女性も当たり前のように働く社会となった今、古い呼び名だから時代にマッチしてないよねという風潮があったりなかったり。それも、「どう捉えるか」なんで、腕をぶんぶん振り回して「女性蔑視?やってやんよ」と攻撃体勢に入っている人を見ると、「おいおい」となる。

 

ちなみにぼくは、誰かに紹介するときは「妻」と言っています。

そういう背景を知ってしまうと、「なら妻かぁ」とミルクボーイのごとく納得してしまう。

語感的には「嫁(よめ)」が好きなんですけどね。

 

 

不登校の話からだいぶ話が逸れたね。

 

不登校の生徒とオンライン電話で話す機会がありました。

先生として学校復帰を促せたらと、数ヶ月前から地道に行動していて、やっとこさオンライン電話ができる環境に漕ぎ着けて、今に至る。

 

その生徒は自分なりに(いつか)学校に行けるように、色々と準備(生活習慣とか)をしていることが話してる時に分かった。自分なりにわりと前向きに再登校を考えていたのが意外でした。学校が嫌いだから学校に行かない選択をしているのかなと。

「今はまだ難しいけど、そのうちに」という思いが伝わった、とても意味のある電話だったし、それが分かったときは泣きはしないが、感極まりました。

 

不登校に関するブログは前にも書いたから割愛するけど、「学校に行かないという選択」を「してもいい子」と「するとまずい子」っていますよね。その生徒は後者のタイプなので支援をしている次第であります。

 

で、再登校をゴールとしたとき、

先生として何ができるか。

 

毎日電話は流石にうざいだろうし、

ぼくが同じ立場なら「再不登校」を決め込むだろうな。

 

ゆるーく現代人らしく、チャットで「おっすー」「元気ですか?」「課題作ったから解いてみて」とやりとりするのがベターかなと思ってます。ぼくはね。いろんな状況を加味して。

 

要は結果なんで、どうなるかは結果次第

というトンチをきかした締めくくりでお後がよろしいようで。