教師<仲間という揺るぎない優劣
不登校支援としてぼくがやるのは、Teamsを使って簡単な課題(クイズ)を出す、マンツーマンのオンライン電話をする、2、3週間に一度、家庭訪問をする、がある。
方策としては、まあ、普通ですね。
ぶっ飛んだことをしているわけではないですし。
不登校生徒。
学校にくることを絶対視しているわけではないけど、特定のコミュニティに属していない上に、社会とのつながりがほとんど断絶された状態の引きこもりの場合は、死活問題になってくるので、そこはなんか、譲れない教育観。
まあ、今している不登校支援は、あくまで「公立学校の範疇でできること」で、フリースクールだったり教育委員会の管轄外だと、またアプローチが変わってくるんですかね、自然と。
そんな今日はクラスの生徒とTeamsでつないで、談笑させる時間を設けた。
ぼくや他の先生は教室から抜け、生徒たちだけのフリートークの時間にした。
教室の外から話の内容を盗み聞きしていたけど(といっても内容はほぼ聞こえなかった)、とにかく双方、楽しそうだった。
最後に、教室にいる生徒が、「自分のタイミングでいいから来れそうなとき来てね」と登校を促していた。
必ず来るという感じはなかったけど、自分が「来れるときでいいから来てね!」という声かけよりかは、「行こうかな」という雰囲気が感じ取れた。
やっぱあれっすね、教師の言葉より、自分の周りにいる仲間の言葉ですよね、「さて、動こうか」となるのは。
偉大だね、仲間って。
大学院生の頃から知ってたけど、それを確かめられる瞬間を目の当たりにした今日。