教育を甘く見ていた過去の自分

カナダにいたとき、レンタカーを借りて、日本人の友人らと自然を周る日帰り小旅行をしたことがある。ロッキー山脈、スケートリンクのようにきれいに凍った湖、どれも絶景そのもの。

 

そうそう、21歳のくせに、レンタカーというものに乗車するのは初めてだった。絶景に心を弾ませるのはもちろんのこと、「これがレンタカーか!」とテンションが上がっていたのも確か。

 

というか、自分の知り合い(友達以上他人未満)が自分を車に乗せてくれること自体、経験上あんまりなかったから、もういろんな要素が絡んで、胸が高鳴っていた。

 

ドライバーの友人に、

「ちょっとお願いなんですけど、ぼく車から降りるんで、10kmで走ってもらっていいですか?10kmて大した速さじゃないと思うんです。ぼくの早歩き程度なんじゃないかと思っていて、それを証明したいんです。」と申し出て、ロッキー山脈と湖の間を通る道路で下ろしてもらった。

 

いざ走ってもらうと、普通に速かった。「いや、10kmて言ったじゃないですか。盛るのはよくないですよ。」とドライバーに苦言を呈すると、「いや、まだ5kmしか出してへんで」とのこと。

 

車の速さをたいそう甘く見ていたことを知った弱冠21歳でした。

 

これと話がうまくリンクするかどうかはわからないのだけど、教育者らしく、教育に話をつなげようと思う。

 

教育実習に行く前、なんなら教育実習中、教育実習後ですら、「自分が生徒一人一人を変えてみせる」と夢を見ていた。

甘く見ていたんですよ、生徒個人の人生に自分が影響を与えられるって。

 

でもいざ現場に入ると、小規模校で少人数クラスに在籍する生徒すら、劇的に変えることはできないことを知るのね。

 

とは書きつつも、高飛車な発言になりますが、事実なので書くと、「自分という存在との日々の対話で変わった生徒」はいます。

自惚れでもなんでもなくて、事実ですし、他の先生に聞けば、「あぁ、あれは間違いなく先生のおかげだね」と言われる自信があります。

 

でも、本当に数本の指で数えられる程度の生徒。

 

彼ら以外の人生のベクトルを良い方向に変えれた生徒は、正直いないです、いろんな生徒と関わってきてますが。

 

生徒一人一人の人生と向き合い、人生を好転させる。

 

これは実際可能ではあります。

ただ、みんなではない。

数人規模なら、相性さえ合えばできる。

 

「全員の人生を変える」は、不可能です。

 

だから、車の話にも通ずるけど、

教育を甘く見ていた自分が恥ずかしいですね。

 

自分一人は非力だと自覚するのと同時に、「でも集団を動かして集団内の個人同士がお互いに影響を与えることはできる」とは思ってます。