一応英語教員なもんでして、こんな本を読んでみた

学校の図書館司書に注文&貸出してもわった本をここ最近読んでいました。

特別支援学校に勤務していたときは、英語の授業は週1程度。それ以外は数学とか国語とか作業学習とか、「教科の専門性」みたいなものを持つことなく、ジェネラリスト的に過ごしていました。

 

でも高校に異動となった今、週5で英語の授業をもっていて、「あぁ、そっか。自分は英語の先生だったな」と改めて実感。

 

『』をしているとはいえ、そこは英語の先生らしく、英語の学び方とかうんちくとか授業の中で話しますし、生徒も興味津々に聞いてくれる。

そんな中で、「てか、なんで英語を学ばなきゃいけないのだろう?」と不意に原点に戻るような思考が湧きたちました。それがこの本を読んだきっかけです。

 

英語がなぜ、どんな風に日本にやってきたのかの経緯を歴史的に詳しく説明していたり、歴史的な偉人がおススメする英語学習法、英語と言っても生活言語と学習言語ではそもそもの学び方が違うこと、政府の英語教育指針の大大大迷走ぶりなど書かれていて、楽しくも、そして歯がゆさからイライラしながら読むことができました。

 

ビジネス、利権、経済・政治的圧力。

そういったものが今の日本の英語教育を粗悪なものにしているんだなぁというのが率直な感想です。言ってしまえば文科省を名指しで批判したいし、その省が中途半端に教育の仲介に入っていること自体が事をおかしくしてるなぁと。

 

でもこれは日本に蔓延る政治的システムにエラーがあるのだから、文科省を集中的に責めるのはなんか違う気がするよなと冷静になれるし、でもそれと同時に「じゃあそのシステムエラーに対して自分は何ができるか」と問われれば何も劇的に変えることはできないしで、嫌になっちゃう自分もいるわけでして。

 

「一律に全員に英語を身につけさせたい」という国の工業化社会思考にはいい加減うんざりしているので、その流れを、一人の教育者として変えるきっかけを呑気に模索してみるのもありですね。

「語学」って本来は楽しいはずなのに、今の学習システムから生じる窮屈さから、「英語?イヤ!」になっちゃってる子どもたちを目の当たりにすると、こんな自分でも何かできることはないかと、善人ぶりたくなるわけです。

 

そもそも論になりますが、

「みんなが」英語を学ぶ必要ないじゃないですか。

自分が興味もてる言語でいいじゃない。

 

 

まあまあ、何ごとも「選ぶのは国民」なのだとしたら、地道に16%の壁を超えるムーブメントを起こしていくために、ひたすら人と繋がり続け、その人たちと行動していくことが自分の中の苛立ちを解消する唯一の方法なのかなと。

 

なんて書いてみたり。