授業において仕組みづくりが大事なのだけど

英語を教えている、もとい、英語を教科として管理している者としては、「果たして英語は必要なのだろうか」といつも思う。

 

教養としては良いと思う。

 

なんかの本で読んだけど、母国語以外の言語を学び続けるのは、どうやら脳に良いらしい。

老化を防ぐとかなんとか。

シンプルに、頭が良くなるってことですね。

 

ただ、学校で子どもたちに「学ばせている」以上、そんなに英語力は伸びないんだろうなぁと密かに思ってたりする。

 

もちろん、子どもたち自身が、「英語は自分の人生において必要なもんだ!」と自覚し、英語という語学に真に向き合えているのであれば、あとは時間の問題で、ほっとけゃ勝手にできるようになる。

 

できない子でも、「なんで自分は英語が伸びないのだろうか」という壁にぶち当たって、必死でその状況から抜け出そうとするのが自然ですし。

逆に、そうならないのなら、前述した「壁」にそもそもぶち当たってないし、なんなら必死こいて抜け出そうとしてないわけで。

 

そういう意味では、一律に学ばせるというのは、ものすごく非生産的だなと思わずにはいられない。

 

学ぶ必要があると考えた人が学ぶ。

 

それじゃダメなのかしらね。

 

その上で、それでも学ばせるのであれば、「英語学ばないと損じゃん!」と錯覚させる環境づくりが非常に大事になってくるわけだけど、教室で行われる英語に、果たしてそのような仕組みは作れているだろうか。

 

なんて思ってみたり。

 

これは『学び合い』でも実現するのは、ちょっと難しいと思う。

「英語ができないのは損」じゃなくて、「不得意を人との繋がりでカバーする」にフォーカスしてるので、話が違ってくる。

 

仕組みづくり、どうしましょうか。