「納得できない人」は手強い

「納得できない」の一点張りの人とお話しするのが、案外、てか結構な体力を使う。

 

「根気強く語り続ければ、そのうちわかってくれるだろう」という淡い希望があるから、なんとか必死にわからせようとするのだけど、最後の最後に、「それでも納得できない」と言われてしまう。

一つ一つ並べた晩御飯が乗ってある卓袱台を、ええい!とひっくり返されてしまう、そんな感覚に近いのかな。

 

 

「理解する能力」はあるから、

「納得」には辿り着くはず。

 

希望はあるから「納得してくれる」まで、

同じ話を懸命に語り続ける。

 

 

一方で、「理解できない人」には

ほぼ体力を使わないような気がする。

 

物事を「理解できない」ってのは、主に自身の勉強不足が原因にあるわけで、判断材料が乏しいゆえに生じる現象だもん。

 

わかりやすく説明して、それでも「理解できない」のならば、「理解しようとする努力をしてみたら?つまり勉強しなよ。」とか「シンプルに自分(ぼく)の話し方・ワードチョイスその他諸々がフィットしてないだけだから、他の人に聞いてみて。」で片づけられる。

体力の消耗を抑えられる。

 

それか集団真理の中で、

「まわりがそうだからやっぱそうなのか」

という流れに持って行ける可能性も十分ありえる。

 

 

納得と理解との向き合い方、

そんな持論でした。