「我慢しろ」が結局はオウム返し
「あんたが出来ないくせに、偉そうに指図してんじゃねーよ!」という生徒からの鋭い批判は、教師が言われがち・思われがちっす。
そもそも教師って、「お手本」という烙印的なものを押されてしまっているから、仕方ないのですけどね。格好の的と言うんでしょうか。
ぼくがどう思われているかわかりませんが、
生まれてこの方、まだ言われたことはないですね。
感じられた生徒はいるんじゃないかな、何人か。
まあ、ぼくが「生徒」だったころ、
心の中で思っていたことありましたしね。
それに尖がっていた頃は教師本人に聞こえるように間接的に言ったこともあるんで(#性格悪かったね)、ぼくと「生徒」として関わってくれた過去の人の中には、ぼくのように、少なくとも心の中で唱えていた人は、それなりにいるんじゃないかなと踏んでます。
そんなわけで本題ですが。
教師が生徒から「お前がそれを言うなよ」と
言われ・思われがちなフレーズの話をしようかな。
きっと、ほとんどの人が
「言われてみれば..」となるんじゃないかな。
それは、
「そこは我慢しないと」という言葉。
これに尽きるなぁ、と教師として思う。
そもそも我慢って
むちゃくちゃ辛いんです。
「ストレス=敵」であり、
「我慢=ストレス」ですから。
人間が人間の中に眠る欲求すべてを満たそうとすると、きっと今のこの世界は回らないはず。だって世界は一定数の我慢で成り立っているから。
でも我慢はストレスの根源なのも確かで、
みんなどこかで必ず我慢の解放を行っている。
もうちょっと攻めた感じで言えば、
グレーな「息抜き」をしているんですね。
それが何かとはあえて言わないけど。
「あんなことからこんなことまで」と言っておこう。
人間がこうなんだから、
聖職者としての時代にいない現代の教師も
一般人なわけでありまして。
#ぼくは聖職者という言葉を皮肉で使います
みーんな我慢できていないんです。
それなのに、生徒の前では一丁前に
「我慢しろ!」と言ってしまう。
そんなぼくも、我慢できないでいる生徒に、「そこは我慢しないとダメだよね?」なんて指導している。
ぼく自身、我慢できずに、
ついつい欲求を満たしているのにね。
どうだろうか、
生徒はすでに見透かしているのかな。
それとも純粋さゆえに、信じているのかな。
ただ、一貫性はないよ、ぼくには。