器用貧乏としてのぼく
最近は、英語に対する熱意が皆無。
海外生活の経験もあるし英語の先生でもあるから、当たり前だけど、英語は話せる方。英語でのコミュニケーションも、困らない程度にそれなりに取れるし流暢に話せる。
そりゃ、海外の大学留学レベルとかからは程遠いのだけどさ。
でも、もう極めなくてもいいかなぁ、と思ってる。
自分の長所でもあり短所がここにきて足を引っ張ている。
器用貧乏ってやつ。
広く浅くすべてのことを体験してみたい性格だから、「これを極めた!」というものは、この27年間を振り返ってみて、ない、本当に。
野球は小4~中3。
ラグビーは高校3年間。
バレーは大学4年間+今。
ペン回しは小2~小6。
スノボは大学生時代。
あ、ボーリングもか。
etc(エトセトラ)。
基本的に運動神経は良い方なので、短い期間で集中してやれば、やめたあとも現役時代の能力からガタ落ちすることなくキープする。
まあ、語学などの学問は、やめたらそこで終わり。
能力保持なんてことは、少なくともぼくにはあり得ないんだけどさ。
そうやって「ある程度できるようになったら次の何かへ」が、プログラミングされているため、何も極めれない。
今、どうしようか悩んでいる英語。
英語の教員としてなんとか食いつないでいる自分が否めない。
教員じゃなかったら、きっと、勉強自体やめている。
ただ、英語自体を否定しているわけではない。
英語は好きだけど、これ以上深めたいと思えない。
何にも囚われないで、自分のしたいように英語とは関わっていきたいというのが本音。
という思いを持っていながらも、
「でも、やらんと。」と
何かと理由を付けてまた勉強を始めるんだろうな。
うまく洗脳できるといいな、自分。