人変われば品変わる、ということで。

日本の外に出て、海外のどっかの国に降り立ったとしますか。

「所変われば品変わる」という諺があるように、言語はもちろんだけど、文化、習慣、そして常識が全然違ってくる、らしい。

 

「らしい。」と書いたのは、確信がないからです。

留学や旅行で、これまで5か国以上、世界の国々に足を踏み入れてきました。それでも、「この国は窮屈だなぁ」と思ったことはないからです。今、振り返れば、ね。

記憶って「あの頃は良かった」と塗り替えられるじゃない、美化っていうんですけど。

今のところは、「どこの国も良かった」という感想を持ち続けてます。

 

長くても1年、短くて1週間の滞在期間だったことを考えれば、「窮屈さ」を覚える前に帰国したんだろうね。

 

それでも「日本と違うなぁ」と思うところはありました。

マリファナを公然と吸っていたり、お酒好きな国なのに公園などのパブリックなところで飲酒すれば罰金刑だったり、日本と違ってあっさり「お前はクビね」がまかり通っていたり、知らない人がくしゃみしてもBless youと声をかけるのは当たり前だし、と今思いついたことを書いてみました。

留学中毎日書き続けた日記を読めば掘り出し物的な文化があるだろうけど、それはまた今度改めて。

 

所変われば品変わる。

 

これは日本の職場でも本質的には一緒なのかなと。

職種が違えばなおのこと。

そして、同じ職種でも勤務場所が変わっても。

 

ミクロ的に分析すれば

人変われば品変わる、なのかも。

 

自分がこれまで出会った上司には指摘されなかったことでも、ある上司は「これは礼儀だから意識した方がいいかも」とアドバイスをくれたりする。

それを聞いたとき、「いや知らんがな」と思うことはあるわけです。「それはあなたの経験上での礼儀でしょ?」と。

でも、人それぞれ、その人の中の礼儀が存在する。

 

ぼくにもきっと、「なんなんそのポリシー」とか「こだわりのある礼儀だね」なんて誰かに思われる日がいつか来るんだろうね。いや、27年も生きてたら、すでに思われてるか。

 

それでも、その人と付き合っていく、せめてその期間だけ、その人の前だけでは、その指摘された礼儀を守っていくのが、うまい人付き合い方法なのかなって思う昨今。

「自分と考えが違う」と跳ね返したまんまだと、うまく物事が進まないわけでして。

 

「言われてみれば合点」と納得できた作法なら吸収すればいい。

「いや、違うなぁ」と納得できないのなら、そーっと捨てればいい、その人と接点がなくなったあとにでも。

 

そんな風にしなやかに生きていきたいもんですね。

「この人が言っていることは、変!」と切り捨てることから始めるのは、自分にとって損だよね、というところに落とし込めた気がする。