場面緘黙の子の将来を考えてみる

場面緘黙(ばめんかんもく)という言葉を知ったのは、特別支援学校に勤務してから。該当生徒はいないのだけど、特別支援というものを学んでいく中で知った。

 

この場面緘黙は何かというと、自分が置かれている状況によっては、一言も喋れなくなる、そんな症状と言いますか障害らしいです。

ここでネックなのは、「普段話せるのに」、というところ。

 

添付した動画に出てくる少女は、家の外の世界に出ると、声はおろか、体を動かすことすらできなくなる、結構重めな場面緘黙です。

でも家族みんな口を揃えて言うのは、

「家では本当に普通の子です」とのこと。

 

双子の兄曰く、家ではゲームとかよくするそうですが、学校の友達とやっているような感じで、とにかく本当に普通の子らしいです。

 

彼女はお菓子作りが好きらしく、その「好き」を活かして母と一緒に小さな店をオープンしたそうなんだが、そちらはものすごく大盛況らしい。

手際よく材料を混ぜたり、ケーキの飾りつけをしているため、学校で靴を自分で履けない、スティックのりを持てないシーンを見たときは、なかなか衝撃的でした。ギャップがすごいな、と。

youtu.be

生徒の特性に合わせて、学校には週1回の登校。

 

一見、登校数は少ないですが、ぼくはそれはそれで良いと思う。

コミュニケーションも、店でのお客さんとのやりとりで徐々に克服していけばいいですし。学校の外につながりを作るでもいいと思う。

もちろん、学校で「しか」学べないものが、そこにあるのであれば、登校を促すのもありだとは思いますが。

ただ、特別支援学校で働いてる身としては、「特別支援学校=自由」というイメージが持たれがちだけど、そんなことはなくて、所詮は一条校で、柔軟性はないし個別最適化はされていない。一世風靡した麹町中学校のような学校は稀です。校長次第ですからね。

そういう意味では、果たして学校でしか学べない唯一無二性というものがあるかどうか、正直眉唾です。もちろん一般の小中高も。

 

柵や規制を気にしなくていいのなら。

もし自分が学校の先生としてこの少女に出会ったら。

 

ぼくはどうするかしら。

 

聴覚障害の子に適用される「準ずる教育(いわゆる普通教育)」ではないと思うので、成績や出席日数は気にしなくていいはず。

どんな成績でも、どんな出席状況でも、学校は卒業できる。

まあ、これも校長が最終判断するんですけど、特別支援学校で留年は基本的には聞かないですね。

 

社会的自立がゴールなんだから、その社会的自立と同じような環境に早めに慣れさせることが大事なのかなと。

それこそ、学校に行かないで、自分のお店ではない違う店で、インターンシップを行ったりとか。

もちろん、緘黙の特性をしっかり理解してくれるような場所で。

 

その傍ら、自分でオープンしたお菓子屋さんは引き続きやる。

 

そして、どこかのスイーツ専門店とコラボしみてたりもあり。

 

県外、国外のパティシエを訪問して、新しい刺激をもらうのもあり。そこで得たものを何かに活かせるかもしれないですし。

 

と、今思いついたことをつらつらと書いてみました。

最終的に選ぶのは本人なので、先生として提案はしますが強要はしないです。

 

実際この動画の最後でも、「『好き』より『義務』が優先された」ことで、鬱状態になってしまいました。ので、まずは本人の「やりたい」にとことん寄り添い、タイミングを見計らって、「さあ、どうする?」に持って行くのが理想だと思う。

 

ぼくなら先生として、保護者・生徒に対して、いろいろと提案をする。

そして、自分のつながりを活かして、「保護者・生徒」と「新しい人・新しい団体」をつなげて、活動の幅を広げていく、そんな教育活動をすると思う。

 

本人の学校に行くハードルが下がったら学校行事とかにも参加してもらう、という流れでもいいと思う。

 

思ったことをとりあえず書いてみました。

 

深い知識がないので所詮は思いつきですが。

それでも、この指針・考え方は、この先もブレないと思う。

 

学校が「唯一無二の場所」になれる分野。

 

今のところ「多種多様な人間が集う場所」というところしか思いつかないなぁ。まあ、機能不全ですけど。