生徒が制服を着崩すのは「制服着用」のルールがあるからで。
どの学校に行ってもそうだけど、生徒は必ず制服を着崩す。
学ランの第1ボタンを外したり、腰パンをしたり、スカートを折り曲げてミニスカにしたり、ネクタイを緩めたりと、着崩し方は多種多様。
ぼくが高校生の頃は、今思うとちょっとダサいのだけど、学ランを短ランにしてました。『クローズ』や『今日から俺は!!』に出てくるような短ランではなくて、もっとマイルドな短ラン。
普通に着てるとズボンのポケット半分が見えるくらいで、屈んだときに後ろのベルトがちょっと見えるくらいの短ラン。
当時は流行っていたのだと思う。
基本まわりの流行には乗らない主義ですが、「オシャンやん」と自分自身が納得したなら話は別。飛びつく自分でした。
その短ラン学校生活2年、先生から注意を一度も受けなかった自分は、本当にうまくやっていたのだと思う。それか見逃してもらっていたのか、どっちなんだろう。
個人的見解ですが、制服を着崩す問題は「制服を着る」というルールが学校にある限りはずっと問題提起され続けると思います。
先生が生徒に泣かすほど注意しようと、生徒にとって重い罰則を下そうと、なくなることはないと思います。原理は「インターネットがある限り、ハッキングやサイバーテロがなくならない」と同じかなと。
銃がある限り人を傷つける「武器」として使われるように。
材質がガラスのコップである限り「落とせば割れる」ように。
それと同じ。
いろんな人がいるのがこの世の中です。
多様的でぼくは好きですが。
話は戻って。
「制服を着崩す問題」を根本的に解決する方法が実にシンプルで、「そもそも制服を着るというルールを設けない」が正解じゃないでしょうか。
私服登校もありにすればいいよね、と。
そうなると、「華美な服装はいけません」という新たなルールが設けられるのは安易に予想がつくので元も子もないのですが。でも、「TPOに合わせた服装を学ばせる」という点ではすごく大事だと思うんです。ケースバイケースで服装を変えることができる、それを学生のうちに学べる、良くないですか。
大学や社会に出たら自然とそうなるわけですし。
本当はもっとシンプルであるはずの制服問題ですが、昨今どんどん複雑化していってますね。
着崩すのもそうですが、最近だと「ジェンダーがどうのこうの」と、「女性用学ラン」とか「男性用スカート」とか。
いやいや、そうじゃなくてそもそも「制服を着る」というルールがそこにあるからそうなってるだけで、制服を着てもいいし私服を着てもいいしと、「も」をありにするそんな柔軟な考え方が広がればいいのにと思っているわけであります。
その方が生徒教員お互いにハッピーじゃないかなって、日本の学校文化に対して思う自分です。