計画の重要性は時と場合による

家を何時に出れば何分で

職場に着くかはだいたい予想できる。

 

2年目だとそりゃそうか。

 

「どの信号に引っかかればどこを青信号で通過できるか」、「どこからどこまでを右車線、どこから左車線で行けばいいか」も、なんとなくわかる。それ以外だと、そうだな、どの道路で例の遅い車、例の原付が合流するかもわかる。

 

データとかそういうもんは持ち合わせていないけど、

「なんとなく」というどうしようもない勘とか雰囲気で

わかってしまう。

 

そういった感覚で、

大袈裟に聞こえるけど第6感的なやつで、

察知できる。

 

それをあてにして、

「予想通り」の時間に職場に着くと、

「そんなもんだろ」と澄ました顔を1人でしてみせる。

 

 

それでも、その感覚がうまく働かない日には

内心ひどく憤怒する。

 

 

あのとき、あの車を追い越さなかったからだ!

 

あそこを青信号で通過するために、

もう10km/hスピード出しておけば!

 

感情が荒ぶってると、「あの車のせいだ!」と、もう見ることのないであろうドライバーに非をぶつけたくなる。

 

むちゃくちゃしょうもないんですけどね。

 

 

予想通りになることを人間は好む。

 

だから、授業計画だの指導案だのそういったものを作って、授業を予想通りの方向へ持って行きたくなる。

 

予想に反すれば、思い悩む。

あるいは、生徒にあたる。

 

あたるって、虐待的な意味ではなくて、

「なんでできないの?」とか「さぁさぁ!」と急かす。

 

ぼくは周りからしっかり者の印象があるけど、

「予想外」が好きで、「そうきたか!」となる瞬間が好きです。

 

だから、場合にもよるけど、細かい計画は立てないで、行き当たりばったりで臨むことがしばしば。

 

そこで得たデータ、特に失敗の場合は、

重宝して次に活かすべきなんですが、

そうは言っても計画は好きくないっすね。

 

「何事も計画は大事だぞ」

と言わないようにしたい。

 

 

「時と場合によるけど、計画は大事だよ」

が正しいのかな、ぼくの場合は。

 

『パラサイト 半地下の家族』でも言ってたしね、

「人は無計画な方がいい」って。