「多忙」が先か、「どうでもいいこと」が先か

ぼくは去年から小規模校で働いてるわけですが、

生徒の減少に伴い、教員の数が顕著に削減された今年度。

 

そしていろんな分掌がくっついてしまいました。

 

例えば、図書・情報部と教務部が合併したり、

教育相談部と生徒指導部が合併したりと、

全部で8つあった分掌が4つに絞り込まれました。

 

どういうわけか、今年度、2つの合併分掌(つまり細かく見れば4分掌)に所属することになったぼくですが、なんじゃかんじゃで1学期は無事に終えることができました。

ぼく以外にも何名か兼務している方がいて、

「これはちょっと違うよね」と管理職に異議を唱えていました。

 

その方の指摘で、「あぁ、普通に考えたらおかしいのか」と自覚することができたので、そういう意味ではぼくは鈍感なんだなと。

与えられた仕事をとりあえず何も考えずに遂行してきたのかなぁなんて思いました。

 

もちろん、「いろんな業務が入り混じってて、ようわからんなぁ」という複雑さだったり、「これ、うちらの仕事?」という曖昧さから、「忙しさ」は感じてましたが。

 

まあ、自分が熱くなれない仕事には、無味無臭というか、完璧は目指すわけがないというか、60点くらい出せればいいかなぁ程度で進めていく。じゃないとやってられない。

それでも上層部から最終的にOKが出るし、学校も回る。

 

省エネスタイルを確立できたなぁと振り返る。

 

ただ、小規模校の末路は、ご存知、

「さらに小規模になる」という未来が待ち受けています。

 

勤務校は案の定、来年も教員削減があったりなかったり。

 

分掌業務による忙しさに

拍車がかかるんだろうなぁなんて遠い目をする自分。

 

遠い目をしながら分掌部会で、

「来年度以降に備えて、業務の整理した方がいいですよね、やる・やらないの。」と提案しました。

と言っても、きっと断捨離なんかはされない。

 

『なんだかんだで残る、一部を除いて』

という中途半端なスタンスが取られるでしょうね。

現場ニュービーなぼくからしたら、

「それやめませんか?」の業務で溢れていますが。

 

「なんでそんな細かくて取るに足らない業務が残ってるんですか?」と思えるようなものが会社、殊に学校には残りやすい、文化みたいなのがね。

 

分掌部会でふと思ったのが、

 

「多忙だからどうでもいいことに時間を割かなくなるのか」、それとも、「そもそもどうでもいいことに時間を割くから多忙になるのか」という、哲学的な思考をしたのはここだけの話。

 

いずれにしても、わざわざ忙しい方向に組織が自ら向かってるように、ぼくには思える。