上司のn乗という労働環境
バイト時代を振り返ると、
それはそれは山あり谷ありの期間でした。
某引っ越し業者で働いていたときは、運んでいる家具を少しグラつかせただけで「てめぇ殺すぞ」と罵声を浴びましたし、某レストランで働いていたときは、忙しくなると余裕がなくなり一つ一つの言動が荒くなる雇われ料理長が頻繁に自分にあたってくることがありました。
そのたびに「なんて理不尽なんだ、社会ってやつは」とも思ったし、なんなら「なんかの不祥事でここ(バイト先)潰れてくんないかな」とも祈りを捧げていました。
まあ、「傷ついた分だけ人は強くなる」なんていう使い古された言葉があるように、そういったメンタルを抉られる経験をしたことで、社会人生活で修羅場に出くわしても、「アノ時に比べりゃ、ね?」と恐怖心を抑えることができたりするので、「あれはあれで良き経験かな」と少々バグった合理化をする昨今。
まあま言うてますけど、学生時代よりかは成熟した今の自分が、あの時代を振り返ってみると、結局は「システム」とか「環境」に原因があって、アノ人は悪くなかったんだ、という結論を出せるわけであります。
労働環境に原因があったんだって。
罵声を浴びせる人、言動が荒くなる人。
上司と現場の板挟みによって、どうしようもできないゆえの言動があの結果だったんだろうなぁって今ならわかる。
全てはその環境を整備する上司に原因がある。
こう書いちゃうと、自分が毎回「それは違うよ」と言っているヒューマンエラーになっちゃうわけですが、そこは否定したい。
上司という個人にも課長とか部長とか会長とか、そのポジに応じた上司がいて、その上司にもまた別に上司がいる。
上司の上司の上司の上司の上司の,,と「上司のn乗」が罷り通っている労働階級システムに原因があるわけです。
組織が大きくなればなるほどその傾向は強くなりますし。
そこのシステムがわかれば、
「あのアンポンタン上司め」
とはなりにくいのかなと。
「そういうシステムだもんなぁ」と納得できるし、「じゃあどういうアプローチが必要か」と少しは考えてみようともなる。
この本が参考になるかと。
と書いてますが、
「にゃろうめっ」と
個人を責めたくなる気持ちは芽生える。
でも、それは風船と一緒で、その怒りは大きく膨らんですぐに萎む、そんな感じです。
「大人になったなぁ、自分」と、
たまには自身を褒める。