くしゃみと多様性

23年間なんとか生きてこれましたが、
23歳という若さなのに人生を不意に振り返ってみれば、本当にいろんな人がいたなぁと。

自分が持っていないものを持っている人や、反対に自分が持っているものを持っていない人、いろんな人がいたなぁと振り返ってみる。

多様性であふれていた人生でした。

別に今から死のうとはしていません。ご心配なく。ごくごくたまに人生を振り返る癖があるだけです。

そういえば、先ほど「多様性」って言ってましたけど、

あなたにとって"それ"は何?

そもそもあなたの言ってる"それ"の定義は?

と思われた方もいるかもしれませんね。

それはね、、

幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

ですね。


と辞書的な説明で終わらすこともできますが、
個人的な考えをちょっと書いてみます。

日常生活での出来事や現象を1つの例にとって"多様性"について言及してみます。
ぼくにとって、

くしゃみ

って、もろ"それ"、つまり多様性だと思います。

雀のように くちゅん って鳴らす人、
顔覆って、くしゃみを周りにばら撒かないように気をつかう人、
ライオンのように大きな口を開けて人目を気にせず ハックション! って鳴らす人。

そしてその人たちの中には、くしゃみをする方法はいろいろあって、

黙っててもいきなり出ちゃう人、
太陽や蛍光灯の光を見てくしゃみを誘発する人、
ティッシュの先を尖らせて意識的に起こす人。

そしてさらにさらにその彼らの中にはもっと…

というふうにいろんなカスタマイズによって唯一無二の、ある一人の、"くしゃみ"が生まれるのかなぁと。
生まれ育った環境の中で出来上がったのがその唯一無二のくしゃみなのかなぁと。
それがぼくにとって、日常を例にとった多様性です。

もう少し語らせてください。

でも人それぞれがするくしゃみにも
やはり賛否両論が、現にありますよね。

あの人のくしゃみは可愛いから好き
とか
あの人のはただうるさいだけだから耳障り
とか。

それでも、
「まぁ、俺も独特なくしゃみするから人のこと言えんけど」
とか
「あの人のくしゃみ、特徴的でなんか好き」
とか、
そういうふうに考えれるようになるとものすごく 人のくしゃみに対する見方・考え方って変わると思いませんか。

多様性を受け入れる、ということもこれとちょっと似てる気がするんだよねぇ、と思っています。

追記:言葉もそうですが、文字で自分の考えをまとめるってすんごい難しいですね。
「結局何が言いたいの?」
って、思わせる文章に毎回なってしまってますが、回数を重ねるごとに直していきます。