公開授業と部屋の片付け
授業参観(公開授業)と部屋の片付けには類似性があるような気がする。
謎かけみたいに聞こえちゃいますが、どちらも
人が来れば綺麗に整えるが、
いなくなれば荒れる
でしょう、みたいな。
部屋の片付けなんて、お客さんが来るから綺麗にするだけであって、いなくなったら3日もすれば散らかりますよ。
部屋の匂いが良かった?
あぁ、あれは前日に芳香剤セットしただけ。
フローリングが綺麗だった?
ルンバ様様。
余り物って言って出してた料理、おいしかった?
この日のために三日三晩仕込んでたからね。
とかとか。
そうそう、
公開授業なんてまさにそうじゃないですか?
普段とは全然違う教師の優しい声かけ
普段見せない教師の(引きつった/満面の)笑顔
綺麗な板書
新しい授業スタイル
緊張してか少しおとなしめな子どもたち
いつもの、ありのままの授業を見せられていないのにも関わらず、それを見てどう思ったかなどを語る授業後検討会。
いやいや、たった1時間のためにすんごい力を入れてきた授業、いわば作品 なわけですけど、それを評価する意味ありますか?
普段の授業の評価じゃないと意味なくないですか?
だから、本当の意味で研究授業っていうものをしたいのであれば、
1カ月、半年、理想は1年かけて授業をビデオカメラを使って継続的に撮影するでもいいし、生身の人間が来て実際に観察するでもいいし、、そういうとこから始めないと意味ないんじゃないかなと思う。
猫をかぶった人でも、毎回の授業を作品にする意欲や体力はなくなり、すぐに素の授業が現れ始めるだろうし。
まぁ、それやられちゃうと、研究対象の教師もストレスでおかしくなるかもしれませんが。。
だから立候補制厳守。
ストレスに対する代価が必要なので、給料とは別に報酬が出ても良い。
校務分掌も減らしてもらう。
なんてこと将来出来たらなぁと考えてる。