『フリーエージェント社会の到来 組織に雇われない新しい働き方』を読んで

今回はこれを読んでみました。

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経済学系は正直苦手ですが,こんなぼくでも読みやすかったし,すっと頭に入ってくる内容でした。

「そんなバカな..」と思うことはほとんどなかったです。

新規性がない,という意味ではなくて。。

むしろ,「ぼくの理想的な働き方だなぁ」という内容ばかりが詰め込まれていて,読んでいてウハウハでした。

きっと,この二年間,「個別最適化」というワードにどっと浸っていたこと,そして何よりも自分の「この性格」が,そうさせていたのかもしれないですね。

 

※この本が書かれたのは2000年代初めなので,時折出てくるデータや情報は古いです。ただ,「事実」であったことには変わりはなく,そしてそれは今でも「継続」されていることもあります。

今の状況と照らし合わせて考えてみるとベターです。

 

 

ややこしい存在

そもそもフリーエージェント(以下,FA)とは何か?

そして,FAにもカテゴリーがあるらしいけど,どんなものがあるのか?

ここでは解説してみたい。

 

FA

インターネットを使って,自宅で一人で働き,組織の庇護を受けることなく自分の知恵だけを頼りに,独立していると同時に社会とつながっているビジネスを築き上げた人々のこと。

のちにも出てくるが,「自宅だけで働く人」ばかりでなく,カフェ等にも趣き,仕事をする人もそれにあたる。

そして,このFAは,主に以下3種類のどれかに当てはまる。

 

フリーランス

特定の組織に雇われずに様々なプロジェクトを渡り歩いて自分のサービスを売る人のこと。

もともと,フリーランスという言葉と発想は,中世のイタリアやフランスの傭兵部隊に遡るんだそうです。戦争の時代です。

得ることができる報酬と戦いの意義を納得できれば,どの君主にもついて戦っていた,という今ではちょっと考えられないこのシステム。

「お国に心臓を捧げよ!

という固い感じがない。

このシステムがイングランドに伝わると,Free Lance(自由な槍)と呼ばれるようになった。「忠誠心や主従関係から自由な騎士」という意味です。お呼びがかかればどこへでも槍ををもって戦いにいく,というそんなニュアンス。

 

臨時社員

こちらは上記とは少し意味が違って,「意図せざるフリーエージェント」の意味合いが強い。本当は恒久的な職に就きたいと思っている場合がほとんです。

言い方があれですが,「使い捨て労働力」という言葉が当てはまります。

医療保険に加入している人は半分を切っているし,

年金を受け取ることができる人もほんの2.5%という劣悪さ。

でも,現代の経済には欠かせない存在です,特に大企業において。

全米産業審議会によれば,主要な多国籍企業の90%が「直接,もしくは派遣会社を通じて常に臨時社員を使っている」んだそうな。

大手会計事務所クーパーズ・アンド・ライブランドの調査によれば,アメリカの急成長企業392社のうち3分の2近くの会社が臨時社員を活用しているし,

臨時社員を使うだけで,平均22%多く収益があることもわかっています。

「企業の生き残りに欠かせない存在」であることは明らかです。

 

ただ,恵まれている臨時社員もいます。

医師,看護師,弁護士etc…

共通して言えることは,「高い専門性」が彼らにはあります。

最も恵まれているのは臨時経営幹部で,

駆け出し間もない企業を巣の中から外の世界へ導いたり,窮地から救ったりするような臨時幹部は,日給が5000ドルになることもある。

先述の,恵まれていない臨時社員(事務職とか)の場合,専門技術といえるほどの技術がない。差が激しいのだ。

 

ミニ起業家

家に自分の会社を設立したりして,社員数は5人未満などの小規模会社経営者。

もちろん従業員が1人(=雇用者)ということもある。

リンゼー・フルッチという方が良い例かもしれない。

彼女は,「脂肪ゼロ・フーズ」という名前で,脂肪を使っていないチョコレートケーキの素をつくって,小売店に卸したり,インターネット販売したりしている。

もちろん一人ですべてこなしている。

 

また,自宅を拠点に働いている899人を対象にした,キャスリン・スタッフォード教授の調査によれば,その半数以上は男性のようです。

平均的な人物像は,44歳/既婚/高卒以上の学歴/10年以上自宅で仕事 

という特徴があるということもそこではわかっています。

 

別の調査では,自宅ベースのビジネスの半分はメンテンナス(掃除,建設,修繕)とビジネスサービス(データ処理,グラフィックアート,会計)の二分野に集中しているとのこと。

 

ミニ企業で,個人的に特に興味深いと思ったのは,ノースカロライナ州ローリーのFAである,ジム・ソロモンとティムリン・バビットスカイが運営している「ナノコープ(超ミニ企業)」というタイプのものでした。

『拡大を目指さない』という経営戦略を容赦なく追及していて,

規模が小さいことを武器にしている,そんなスタイル。

「小さければ小さいほどいい」という,欲は出さないけど,自分らが納得できる収入は手に入れるという考えに,惹かれました。

FAの中で,ぼくが理想とする働き方(カテゴリー)は,おそらくミニ起業家で,しかも一人で運営するタイプの方なのかなと思いました。

 

 

フリーランスとオーガニゼーションマン

「仕事=組織」という考えが強い今。

集まった人々のみが知恵を搾りねばり強く努力を積み重ね,やっとの思いで何かを成し遂げる,そんな体制。

ただ,今はインターネットがあるから,組織にしがらみがなく,縦横無尽に動ける適材適所のFAの存在が重要になってきている。

後述するが,既存メンバーではなく,組織を超えて集まったFAの手を借りることで,大きなプロジェクトを成功できる可能性が高い。

 

アメリカで戦後にスタンダード化していたのは,

FAとは対極にある,「オーガニゼーション・マン(以下,OM)」である。

ウィリアム・H・ホワイトの著書『組織のなかの人間ーオーガニゼーション・マンー』からの引用である。

OMとは,当時のアメリカの典型的な労働者で,そのほとんどが男性,大組織のために個性・個人目標を押し殺し,その禁欲の代償に,定収入と雇用の安定,社会における居場所を提供されていた労働者のことである。

ホワイトによれば,

『OMは,悪くない給料とまずまずの年金,そして自分と限りなくよく似た人たちの住む快適な地域社会にそこそこの家を与えてくれる仕事に就こうとする』

としている。

当時は,個人は組織に忠実であることを求められ,組織は個人に忠実であった。

一種の家族的温情主義(パターナリズム)が当たり前になっていたのです。

マー・ベルの愛称,AT&T

マザー・メトの愛称,メトロポリタン生命保険

偉大な黄色いお父さん,コダック

の大企業がまさにそうでした。

子煩悩企業という表現が,いいかもしれません。

 

しかし事情は変わり,1990年代に入れば,「我が子」を切り離す”レイオフ”が万単位で行われました。

タテ(組織)からヨコ(取引先,同僚,元同僚,チーム,職業,プロジェクト,業界)への忠誠心へとシフトしました。

これが,FA時代突入への,一つの大きな出来事でもありました。

 

FAのイメージをわかりやすく

FAモデルは,ハリウッド映画に例えるとすごいわかりやすいです。

映画事情が漠然としているぼくでも,「なるほど!」と膝を打ちました。

 

一つの映画は,いろんな分野の専門家の能力で構成されています。

特定のプロジェクトごとに俳優や監督,脚本家,アニメーター,大道具係などの人材や小さな会社が集まります。

映画をエンディングまで見ると,ブワーっと文字が下から上へ流れていきます。あれです。あの文字列が一つのプロジェクトのために結集された専門家集団です。

そして,無事に作品が完成すると,解散です。「散っ!」してしまうんです。

その都度,メンバーは新しいスキルを身に着け,新しいコネを手にし,既存の人脈を強化し,業界で自らの評価を高め,おまけに履歴書に書き込む項目を増やします。

 

新しいプロジェクトが来れば,随時集まり,

終われば別々の方向へ別れていく..その繰り返しです。

 

だから例えば,「スミス&ジョーンズPR」という会社があれば,社内にはスミスとジョーンズしかいないということがあります。

そんな二人に必要なのは,「それぞれのプロジェクトごとに適切な人材をかき集めることに才能を発揮すること」に他ならないのです。

 

FAの誤解

FAに対して,いくつか誤解されることがある。

個人的に,FAの働き方をざっと知って,まず最初に思ったのは,

「職としての安定性」についての不安でしょうか。

確かに,職の安定は失われるかもしれません。

ぼくあんまりたとえ話うまくないんですが,,

例えば,「これぼくのマイホームなんだ」の方が「来年までは一応ここがぼくの家になっていて,それ以降はまだ不確かなんだよね」よりかは,居住的な面で安定してるじゃないですか?それと同じだと思います。ちょっとわかりにくいか。。

まあ,でも,何事も「未定」って怖いじゃないですか。それと一緒です。

 

ただ,多くの場合,顧客やプロジェクトの多角化を図るから,結果的に雇用されるよりも安定しているということも言えます。

「こっちがダメでも,あれが今キテるからさー,大丈V」という状況を生みやすいからです。

こうなれば,もう怖いものなしですね。

 

もちろん,「みんながFAになれる」とは,これっぽっちも思っていません。

「望ましい」という気持ちも否めませんが。。

僕の中では,FAになれる人は,ごく一部だと思ってます。

西川先生が言うように,30人クラスの中で1,2人の上位者がそれに当たるのかなと。

いわゆる彼らをいかに「ローカルエリート」にできるかどうか。

FAの割合って,そんなものです。これから先もずっと。

 

FAの労働に対する価値観

マズローの欲求階層説の欲求ピラミッド,教採の時期に勉強したなぁ。

教採終わったのにこのピラミッドは結構どんな場面でも見ます。

 

Twitter見てても出るし,ゼミ生と話してても出るし。

それくらい有名ということですね。

 

今一度おさらい。

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マズローの欲求五段階説

頂上に君臨するのは「自己実現欲求」という人間の精神的発達の頂点。

それ以外については,下から..

生理的欲求(性欲,食欲,酸素)

安全欲求(病気,災害,危険に対して)

社会的欲求(愛情や所属に対して)

尊厳欲求(承認や自尊心に対して)

になります。

 

今,世界は,そもそもの水準が高いです。

欠乏への恐怖は,快適な生活へ向かっています(安全欲求)。

つまり,そこまで攻略されているわけであります。

(もちろん紛争地域が存在していることも確かなので,言い切ることはできませんが)

 

みんなが,自己実現を目指せる状態にあるわけで,

ハードル(?)は下がっている。

 

そういえば,マズロー曰く,「人は誰でも,無意味な仕事より意味のある仕事をしたがるものだ」「仕事が無意味だと,人生も無意味に等しくなる」

と述べています。

 

そうなると,「今の欲求状態」と「今ある仕事」を見つめれば,多くの場合,従業員の自己実現の追求は認められていないように思えます。

上から押さえつけられているような,そんな労働システム。

ピラミッドの頂上に登るためには,やはり会社を飛び出すことが上策なのかしら..なんて思ってみたり。

 

そういえば,そもそもFAにとって意味のある仕事とはなんでしょうか..?

以下4つが欠かせない要素らしいです。

 

①自由

『好きな時に,好きな場所で,好きな量だけ,好きな条件で,好きな相手と仕事をすることができる』 

まさに自由ですね。 

 

②自分らしさ

FAは,「組織の最適化=個人の犠牲」を嫌います。

マズローはこう言ってます。

『高いレベルに到達している人は,仕事を自分の個性と一体化させている.・・・仕事が自分の一部になり,自分という人間を定義する上で欠かせない要素になっているのだ』

後述しますが,良い意味で,生活/仕事面において公私混同しています。

 

③責任

組織という緩衝材がないので,責任はどうしても付き纏います。

利益もうまく行けば全部自分のもの。

「仕事の成功に対する責任」,「顧客に価値あるものを提供できる能力・経験を身に着ける責任」,「仕事の質に対する責任」,「ビジネスチャンスを見つけ自分を売り込む責任」,「顧客との良好な関係を保つ責任」

これらの責任を厭わないのです。

 

④自分なりの成功

金と成功はセットじゃないし,出世も成功の条件じゃない,事業の拡大も成功に直結しない,そういう考えも持っています。

 

結局のところ,FAの労働倫理は,

将来のご褒美のために一生懸命働くのも悪くはないけど,仕事自体楽しくたっていいじゃないか。自分らしくて,質の高い仕事をする。

そして,自分の仕事に責任をもつ。

そして何をもって成功と言えるかを自分で決める。

 

仕事が楽しくないと思えた瞬間,今のその仕事が間違っていると思える,そんな感じなんだと思います。

 

FA経済が成り立つ社会とは

FAの経済世界が機能する土台は互恵主義です。

互恵的利他主義が正式名称でしょうか。

ある個体が他の個体の利益になる行為を即座の見返り無しでとる利他的行動の一種で,生物には,個体レベルで他の個体を助けたり、または助けられたりする行動がしばしば観察されるそうです。

つまり,

「あなたに力を今貸すよ。だっていつかその見返りがありそうだから」

という思考で成り立つ行動。

 

ノッティ・バンボの言葉を借りれば,

「本当の力は,独り占めすることではなくて,分かち合うことから生まれる。情報を欲しがるだけで,自分は何も提供しようとしない人間は,相手にされなくなる。対等の人間同士の関係とは,そういうもの。他人の血を吸っているだけだとわかれば,その人間は追放される。」

ということです。

トランザクティブメモリーも,システム面ではこれに近い気がします。

 

2種類のワーカー

働く人は,大きく「2種類の人間」に分けることができるらしい。

セグメンターとインテグレーターである。

 

セグメンター(区別する人)

→仕事と家庭をしっかり分ける人

 

インテグレーター(一緒にする人)

→仕事と家庭をごっちゃ混ぜにする人

 

「家庭での私」と「仕事での私」の間に壁があるかどうか,ていうことですね。

 

ちなみに,ニッパートエングの研究によれば,

この両者を見分ける最大の特徴は,その人の「スケジュール帳」と「キーホルダー」らしく,セグメンターは,スケジュール帳を,仕事用と家庭用の二種類に分けて所持しているそうです。

また,キーホルダーも,職場用のカギ(ロッカーやデスク)と自宅用のカギ(家の玄関や車のキー)二種類持ちだそうです。

 

そもそも,セグメンターが生まれたきっかけとして,

産業革命以降,「居住の場所」と「仕事場」が別々になったためという見方もあります。

農場でも工房でも夫と妻,子どもたちが一緒に働いていました。

しかし,工場が登場してからは,

労働者というヒト と 労働というコト は家庭の外の職場に引っ張り出され,残りの家族が家に取り残されるようになりました。セグメンターの大量生産です。

 

FAの場合,家が職場になるから,

その「労働者」の姿を見て,子どもは育つし,なんなら手伝うこともある。

家に職場があるだけでも,なんだろう,だいぶいろんな面で近く感じるのに,これによって,家庭と仕事の融合(ブレンド)を図れる。

産業革命以前の,昔に戻れるわけです。

いや,狩猟漁労時代の家族の形態に戻れるわけです。

 

最近,このブレンド的生き方に憧れを抱くようになった。

まだ,家族を持っていないのですけど,いいなぁと思える。

家族と場所を共有しながら働ける。働いている姿を我が子に見てもらう。

興味を持ってもらえる,あるいは,こういう仕事もあるんだな,と一つの選択肢を与えることができるのは,いいよね。

 

家庭の環境的に仕事がうまく進まなくなる時期もあるかもしれません。そんなときは場所さえ変えればいいっていうのも,柔軟な働き方で好きです。

 

 

2つのオフィス

FAには,大きく分けて2種類のオフィスがあります。

1つは,「プライベート・アイダホ」

プライバシーと独立性とマイペースが必要な仕事にふさわしいスペース。

自分の家であれば,どこかの部屋ですし,

家の外を望むのであれば,エグゼクティブ・スイートという有料個人用レンタルオフィスでしょうか。たぶん,大学生のときでしょうか,県営の図書館で見たことある気がします。快適な個人オフィスです。

 

2つめに,「FAの山小屋」

個人用の間仕切りスペース(ネカフェ的な)が並んでいるオフィスではなく,スタバのようなオープンな場所です。

そこには誰に話しかけられてもいいような空間が広がっていて,人との接触が前提となっている場所スペースです。

 

これら2つが,未来のオフィスと言われています。

 

 

FA時代は,管理職が不要

なぜなら,典型的な管理職の仕事は,

「部下を監視し,上から下へ情報を伝達すること」に過ぎないから。

会社のオフィスの外で働くことを選び,

チームで動くことが主流になれば,必然的にそうなりますよね。。

 

「自由」と「自立」を大切にするFAにとって,管理職とは,

言ってしまえば,不愉快な存在でしかない。

それでも生き残る管理職はいます,これから先も。

ただ,ごく一部でしょう。それは,,

映画プロデューサーのように,プロジェクトの立ち上げから完了までを監督するようなプロジェクト・マネージャーのような存在です。

適材適所の人材集め(人材を評価する目)

が一番重要な能力になってくるでしょう。

あと,すべてのスタッフの仕事内容を把握できていることも忘れてはいけない要素です。

その管理職のイメージとしては,,

「素晴らしいパーティーのホストであり,辣腕映画プロデューサーであり,優秀なバスケットボールのコーチである」

でしょうか。

なかなか厳しい条件..。だから,「ごく一部」なんでしょう。

 

 

ここまで自分の備忘録用に書いてきました。7000字を超えてしまいました。自分が読めれば全く問題ないんですが,なかなかおもしろい本なので,ぜひ他の人にも読んでもらいたいという気持ちがるのも確か。。

それは置いといて,,

ここまで,FAとして働き方を中心に書いてきました。

独立体として働くことのメリットとか魅力とか。

 

ただ,組織に所属して働くことも,全く問題ないと思います。

自分が納得できる労働条件であれば。

でも,堅苦しい組織の存在は,

自己実現欲求の段階に進むうえで,必ず衝突する要因だと僕は思えてなりません。

結局は,どれだけ自由に働けるか,そしてその中でどんな成果を出すか,だと思います。

組織に所属していても,管理職・経営者は,どれだけ従業員にその環境を許せるか。

 

働く側としては,ぼくはそれを強く望む。

雇う側としては,ぼくは極限まで応える。

 

 

フリーエージェントの働き方,今後も注目です。