聴覚障害にフィットしていない授業
月額250円のショートムービーサブスク『SAMANSA』をもう半年近く堪能してますが、なかなか良いですね。
自分が良さそうと思った映画をサクッと10分~20分程度で、平日休日関係なく観れますし。
もちろん、当たりハズレはある。
ハズレを観たときは、ショートムービーとはいえ、時間の損失感が尋常じゃない。
そんな今日は、こちらの映画を観たのですが、ものすごくよかった。
聴覚障害のある少女とホームヘルパー、家族、そして教育が絡んでくる20分の映画。
ハッピーエンドではなく、「このあとこの少女はどうなるんだろう..」と、「未来」が気になる内容。
楽しようとして添付したnoteですが、
一応、映画の内容をぼくの言葉で要約してみます。
父、母、兄、姉の5人家族の中で一人だけ難聴のリビー。
事情により補聴器や人工内耳を装着していないため、読唇術(相手の唇の動きを見て言葉を読み取る方法)が唯一のコミュニケーション方法、というか、受信方法。
情報発信はどうだろうか。
母の意向により、手話は教えられていない。
時代背景により、口話0円のショートムービーサブスク『SAMANSA』をもう半年近く堪能してますが、なかなか良いですね。
自分が良さそうと思った映画をサクッと10分~20分程度で、平日休日関係なく観れますし。
もちろん、当たりハズレはある。
ハズレを観たときは、ショートムービーとはいえ、時間の損失感が尋常じゃない。
そんな今日は、こちらの映画を観たのですが、ものすごくよかった。

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聴覚障害のある少女とホームヘルパー、家族、そして教育が絡んでくる20分の映画。
ハッピーエンドではなく、「このあとこの少女はどうなるんだろう..」と、「未来」が気になる内容。
楽しようとして添付したnoteですが、
一応、映画の内容をぼくの言葉で要約してみます。
父、母、兄、姉の5人家族の中で一人だけ難聴のリビー。
事情により補聴器や人工内耳を装着していないため、読唇術(相手の唇の動きを見て言葉を読み取る方法)が唯一のコミュニケーション方法、というか、受信方法。といっても、習得できていない模様。
情報発信はどうだろうか。
母の意向により、手話は教えられていない。
時代背景も関係してくるのですが、コミュニケーション方法は「手話ではなく読唇術じゃないとダメだ」という歴史も実際にあり、母はその考えをもろに受けていたため、手話は使えないまま。ゆえに、言葉を発する術ももっていない。自己表現ができないのだ。
そんな誰ともコミュニケーションがうまくとれないリビーが、手話を教えられるホームヘルパーのジョアンと出会い、手話を習得し、自己表現ができるようになっていき、性格も未来も明るくなっていくが、、という内容。
仕事上、聴覚障害のある子どもたちと接するため、この映画は親近感をもって観ることができました。
でも、「補聴器も人工内耳も装着していない幼児」は正直会ったことがないので、リビーは本当に苦労していたんだろうなと察した。
普通はどっちかをつけて、そこから「言葉」を聞きながら手話と読唇術を習得していくので。吸収力が高い幼児期にそれをやっておかないと、そのあとのコミュニケーション面や学習面で影響がでるので、むちゃくちゃ大事な時期です。
そんな大事な時期にリビーは、、と思うと胸が痛かったです。
でも、現実でも起きてることなんだろうなぁと思うと、やるせない。
映画のワンシーンで、
授業に出ているリビーが映った。
これも母親の意向で、
特別支援がない一般の学校に入学させられた模様。
でも、授業は一斉授業形式で、
支援なしでどんどん進んで行く。
何も聞こえないリビーは、ただ周りを見回すだけ。
ぼく個人の意見としては、
特別支援はそこまで必要ないと思います。
子どもたちが自由に学び合える体制させとれていれば(結局は『』の考え方なんですけど)、リビーは授業についていけたと思うし、もしかしたら、何かしらの才能を発揮できていたと思う。
特別支援学校という閉鎖的空間での教育より、多種多様な人間が学び合い、触れあい、お互いを認め合える「人種のるつぼ」的空間での教育の方がぼくは良いと思う派なので。
それにしても、一斉授業のシーンが出たときは、頭を抱えました。「なんでこんなお粗末な授業を..」と。
いろいろと考えさせられる映画でした。