なんで自分主導の授業なんかを

毎週月曜日は全クラス一律で小テストが実施されることになり、授業時間が10~15分程度短くなることが確定しています。

 

この状況下で『』をやっても、正直なんだろうな、パッとしない授業になるのは経験済みで、これは語りでどうこうできるものでもないなぁと感じていますので、毎週月曜日は教師主導のエンターテインメント型授業DAYにすることにしました。

授業時間が短いし、与える課題の難易度調整も難しくなるので、それならいっそのこと一斉授業形式でもいいかと折れました。

 

授業のアンケート結果を見ていても、「先生の普通の授業も受けてみたい気もします」という声もちらほらあったので、「ちょうどいいか」と妙に納得。

 

そんなこんなで授業用のスライドだったり課題を特別に作ってますが、時間がまあかかる。でも、楽しい。生徒のリアクションとかを予想しながらだとなおさら。

 

そういうときに、「あぁ、自分はやっぱり教師なんだな」とつくづく思わされる。

 

人生におけるネタとか学問知識の引き出しがそこそこあるから、ここでこの話をすれば盛り上がるだろうなとか、ここでこの英文法のポイントを教えれば、「へぇ!」みたいな顔する生徒いるんだろうなぁとか、人の前で教えるの、自分は好きなんだなって。

 

でも、大事なのはそこじゃなくて、いろんな人と繋がり合いながら自分の課題を自律的に達成していく授業スタイルをぼくは心底シンプルで美しいと思ってるし、その有機的なつながりの中で「多種多様なつながり」という財産を築いていける方が断然得だと思ってる。

だからこそ、「自分主導のこの一斉授業型のどこがいいってんだよ!」とイラっとすることもあるし、やるせなさを感じる瞬間もある。

 

もちろん、エンターテインメント授業をやったあとにでも、負け惜しみがてら言うと思う。「たまにはこういう息抜きの授業もいいよね。でも、このタイプの授業が良いとは1mmも思ってないからね」と。

いや、それはちょっと表現きつすぎか。