なぜあの子がモテるのか?

モテることのなかったぼくの学生時代を振り返ってみる。

 

小学校は、足が速い人がやけにモテていた。

運動会や体育の時間、その他の体を動かしてみんなに見せびらかす時間が

大いに設けられていたからだろう。

でもぼくは野球はそこそこできても、足は遅かったから、

誰からもキャーキャー言われることはなかった。

 

中学校は、それにプラスで勉強ができる人がモテていた。

学校の定期試験や県下の実力テストがたくさんあって、

好成績を残すと、名前が校内成績表に載るからだ。

でもぼくの成績はと言えば、中1は下の中、中2以降は中の中だったから、

まあ、察しの通りだ。

 

高校は、上記の2つに加えて、よくわからないけどダンスができる人がモテていたような気がする。

きっと学校行事の大イベントである学園祭があったからだ。

あのイベントの中に、「学級ステージ」という全クラスからの出し物(主にダンス、まれに合唱)があって、ステージに立って全校生徒の前で披露できる最高の瞬間があった。

あそこは学校内の人気者への登竜門だ。

あそこで、良い意味で目立つことをすれば、間違いなく一定期間はモテる。

でも、ダンスもできなければクラスでの発言力も海底近くのぼくは、

何も残すことができなかった。

 

悔しい学生時代だ。

モテたかった。

輝ける場が欲しかった。

 

そんなことを考えていると、ふと思った。

 

いろんな子どもが輝ける場が、もっとあってもいいのにと思う。

 

勉強やスポーツができなくても、輝ける場所。

ペン回しだっていい、イラストだっていい、

楽器だっていい、ドミノだっていい。

どんなことでもいい。

どんなことでも、「みんなが注目する」場であれば、

つまらなそうなことでも、必然的に輝く。

そうすれば、みんなが、

たとえモテなかったとしても、

「あの人はOOがすごいよね」という評判は広まるし、

誰かの記憶に残るはずだ。

 

運動会や学級ステージのような決まった子どものための決まったカテゴリーで輝ける場に執着するんじゃなくて、もっと多種多様でいいと思うんです。

 

ではぼく・わたしだったら、

「じゃあ何(どんなイベント)を設けてあげようか?」

と考えることでしょう。

 

ちょっとお待ち。

なぜ大人・教師のあなたが考えるのでしょうか。

 

子どもたちのニーズをよく知るのは教師でもないし、ぎりぎり保護者でもない。

子どもたち自身です。

子どもたちにイベント運営を任せるべきだと思います。

 

わたしたちがすべきことは、

制限(時間、場所、やってはいけないこと、目的)の提示です。

 

まあ、『』の理論通りやれば大丈夫。

 

 

学生時代をふと振り返ってみて、ちょっと感情的に書いてみました。