個人の排除は全体の排除
昨日、バイトをしていると、社会人5名ほどが来店された。
上司:部下=2:3の構成だった。
部下のうちのひとりは、いわゆる「気になる子」だった。
彼の行動や発言を見ていると、上司をイラっとさせてしまうような
そんなシーンがいくつかあった。
きっと、というか絶対に、彼には全く悪気がなかったはず。
でも、「自然」なことだから、言うし、やる。
すると、
「ちょと我々を舐めてるなぁ(苦笑)」
と上司が不満を漏らした。
一瞬ヒヤッとしたが、それ以降は温和に宴会が進み、無事に終わった。
おそらくその団体は彼の特性をよく知っていたから
事なきを得たのだと思う。
仮に互いの特性を認め合うことがない集団に
彼がいたならば、きっとひどい仕打ちを受けていただろうし、
それ以前に、そこから排除されていたと思う。
互いの良い部分・悪い部分を全部認知した上で
成り立つような集団づくりは大事だと思う。
例えば、一つの集団があったとして。
集団の9割は良い人だけど1割はなんか気に入らないなぁと
誰かが言ったとすれば、それに便乗する者が現れたり、
はたまた、そう思ってない人がそれを聞いて気分悪くしたり、
もしかしたら、「ぼくもそう思われてるんじゃないか」という不安に襲われる人が現れたり、「次は私かもしれない..」と怯え出す人が現れたり...
1人の排除が全体の排除へ、そしてその集団の破滅へ繋がることもある。
折り合いをつけて人と付き合うことは、
少なくとも「自分への損」を免れることはできる。
考え方を変えれば、「自分の得」になるし。
そういうことを、学校教育は子どもたちに
教えていく必要がある。