だらしない相手にはだらしない対応を。

日本語には「だらしない」という言葉がある。

汎用性が高い用語のうちの一つだと思っている。

 

汎用性というかなんというか、

「こんな行為がだらしないよね」の「こんな」がなかなか多いと思う。

 

時間にルーズだったり、

服装が乱れていたり、

飾りがちょっとおかしかったり、

ただただダラダラしてたり、

枚挙に暇がない、かもしれない。

 

その中でぼくが煙たがる、数あるうちの「だらしない」は、

提出物にルーズな人

である。

 

えげつない量の課題であれば、出題者のぼくでも、同情からか、多少提出期限を過ぎても「まあ、仕方ないよね」と許すし、期限を延ばすことがある。

というか、それ前提で最初の段階で期限を設ける。

 

でも、誰がどう見ても、「設定した期限内に終えることができるであろう」という超イージーなものの提出を求めたのにも関わらず、期限内に終わらせることができない人は、いろいろと察する。そう、「だらしないヤツ」、と。

 その汚名のさらに上をいく「スーパーだらしないヤツ」は、

ぼくの方から、再度「アナウンス」をしたのにも関わらず、

それでも終わらせることができなかった人。

できなかったというより、「やらなかった」が近いでしょうけど。

 

再再度、アナウンスをして、ようやく提出する者の「ごめん、忘れてた」という常套手段(テンプレ)を聞くたびに、「お前はどこぞの有名芸能人だよ」というツッコミが心の中で起こる。

それに、それを忘れる程度の頭のつくりなら、Googleカレンダーにリマインダーをセットしておくとか、付箋にメモしておくとかの工夫くらいはできないものか。

 

また、忙しさを理由に遅れる人いるけれど、

本当に忙しいのかどうかは赤の他人のぼくは知らないけれど、

仕事・勉強と関係ない「スマホいじいじタイム」がるうちは

それって「忙しい」じゃなくてただの怠惰なんですけどね。

 

その類の人間と自分とでは、あまりにも考え方の違いがありすぎるから、気がすり減ってしまう。「なんでそんなに気が遣えないの..トホホ..」と。

でも、個人を変えることはなかなかできないから、どうしようもない。

 

じゃあどうしようかと立ち止まってみたとき、

あえて「集団を変える」という発想は避けて、

 

逆転の発想で、

そういう「だらしない人」には、自分が「だらしないこと」をしても気づかれないんじゃないかと、ここ最近思い始めている。

 

理論上は、そうなはず。

 

「だらしない」という記号を向こうが掲げているのだから、こちらも「だらしない」という同じ記号を掲げればいいだけ。

 

鏡の原理と一緒です。

 

同じものが自分の目の前に現れて同じ動きをするから何も違和感を覚えない。

でも、違うものが現れたときは、何かしら反応(攻撃・愛着・防衛)が起こるはず。

 

じゃあ、その人たちに対しては同じ行動をしても

大丈夫なのかなと思う。もちろんそれ以外の人たちにはいつも通り誠意をもって対応する。

つまり優先順位をだいぶ下げるのだ。

 

彼らの「当たり前」をやっているだけだから、バレないというか、何も思われないはず。

何か頼まれても、4つくらいランク下げて後回しにし、期限過ぎても大丈夫!

仮に何か文句を投げつけられても、

「君と同じことをしてるだけなのに..」

と嘆けば、向こうはぐうの音も出ない。

 

だらしないヤツ撃退法、ここにあり。