歯医者さんと教師
歯医者さんに褒められるために歯を磨くんじゃなくて、健康で居続けるために歯を磨き、綺麗にする。
これって当たり前じゃないですか。
自分のことなんですから。
というか特定の歯医者さんに褒められるために歯のメンテナンスを徹底する人って、聞いたことがない、これまでの人生。
それと一緒で、先生のために勉強をするんじゃなくて、自分の今後の人生のために勉強をするもんですよね。
先生なんて所詮、恩師になることはあっても、自分の人生の最後まで一緒にいてくれることはない存在ですし。
先生の評価のために学ぶ
なんて学びの持続性・永続性がない。
そう考えると、
原理というか考え方は全く一緒。
だから、子どもの学習において教師が主体になるべきではないと、ぼくは捉えている。
ほら、よく聞く、あの 主体的・対話的で深い学び ってやつの真意はそれなんじゃないかって。
だから、通信簿という存在がどうも気に入らない。
それよりかだったら、
自己評価の充実
に力を入れた方がいい。
あと、モチベーション的に他者(まわりの児童生徒)評価もあれば良いと思う。
1人の教師からの評価が高いより、自分のまわりの友人からの評価が高い方が気分は良いし。
まあ、でも評価ばかりを気にしちゃうと生きづらくなるから、程々に、ですが。
インスタ・Facebook、ツイッターのいいね数と心理は似てる。
ぼくは評価・評判は気にしちゃうタイプの人間で、一種の「誰からも嫌われたくない」と思う性格ですが、割り切るときは割り切ってます。
「この人によく思われてなくてもぼくにはあいつらがいる」というスタンスを取ってるので、わりと日々、気分的に気持ちよく生きてます。
「一定の支持者」が結局は心の支えだし、それが真の評価だと僕は思う。
ぼくはそんな感じ。