ぼくが考える個別最適化の条件

音楽って、いろんな音色が一つに集結して出来上がる作品だ。

 

ドラム、ギター、ベース、キーボード、そして声。

 

そして、これまでいろんなアーティスト、バンドを見てきたけど、

基本ヴォーカルが作詞作曲をしている。

 

でも、作詞作曲だからといって、自分の専門、例えばギター以外できる人って、案外少ない。

だから、この人にもしベースやピアノ、サックスの知識・技量の専門性が加われば、これまでの音楽色とは違ったカラーを見せてくれるんじゃないか、と妄想というか期待を寄せてしまう。

でもそのせいで、今まで好きだったそのアーティスト・グループらしさが無くなってしまう気がする。そうなると可能性よりも従来性を結局は大事にしているぼくにはこの考えは合わないのかもしれない。

 

というどうでもいい話から変わって、というか派生して。

教育でもよく言われてますよね。

これからは、自分の専門を増やして唯一無二の存在になろう、みたいな。

O×△×Xというセルフブランディング、確かに良いと思うし憧れる。

 

でも、ぼくをはじめ、みんながそうなれるわけではないんだよなぁと嘆く。

それはエリート界では義務というか必須条件なだけであって、

一般人界ではなくてもいい。

中にはたった一つの専門性を磨けない人も、事実存在するわけです。

 

ぼくたち教育者が、人間が、これから創っていくべき世界にめがけてまずやるべきことは、そういうエリート教育の促進ではなくて、マルチプロフェッショナルもモノプロフェッショナルもノンプロフェッショナルもうまく共生できるような取り組みなのかなあと思う。

マルチ(エリート)モノ(一般人)ノン(専門性を磨けない人)

という能力差を理由にそれぞれの間に壁を作らない、そういうイメージ。

で、直接的にでなくてもいい、間接的でいい。

ただただ、見捨てられる人がいなければ、それでいい。

 

そう考えると、個別最適化がその上で成り立つのって、

やっぱり今のところ『学び合い』しかないよねって改めて思う。