ぼくを構成する要素
「ぼくはぼくじゃない」
と、たまに思うことがある。
いや、ぼくという存在は24年前からあった。
今の自分は虚像だと言っているわけではないし、
自己否定をしているわけではない。
ただ、いろんな人の要素が混ざっている気がしてならないのだ、
特に、ぼく自身の中にある口癖と仕草は。
海外から帰国したばかりのぼくは、日常会話に英語が混ざっていた。
「海外かぶれあるある」だったにちがいない、あのイタさは。
「英語を見せつけたい」という若気の至りもあったが、
本当に染み付いている口癖(驚いたとき腹が立った時のリアクション)は、当時は抜けきれなかった、実は今もいくつかある。
現地の人が使ってた英語を目の当たりにしていく中で、
「俺的かっこいい英語」が母語の日本語に継ぎ接ぎされ、できあがっていったのだ。
根深くこびれついていたのだ。
それは英語だからというわけではなくて、日本語でも起こる。
無意識に「誰かの口癖」が自分の脳内に入り込んできて、
気づいたらそれを自然に使っている自分がいる。
(コピーされる人はだいたい好印象なのだろう)
そういえばつい最近もあった。
気づいたら、ある人物の口癖が口から発せられていたのだ。
仕草も例外ではない、
あれもこれもそのどれもが。
そうなると、ぼくから出る言葉・動きの、少なく見積もっても5割は、
誰かの手垢でいっぱいなのか。
こういったぼくを作り上げている要素のルーツは、
思い出せる人もいれば思い出せない人もいる。
たった一つの体にいろんな人の要素が含蓄されていて、
少し気味が悪いが、なんだか悪くもない気がする。