その闇、いつか来るかも
『学び合い』では、授業中に「子どもたちの闇が見える」
とよく言われる。
そりゃあ子どもたちに「課題を与えて自由に学んでください」という形式ですから、お言葉に甘えて子どもたちは自由に学びます。
「ただし全員が課題を終わるようにね」という条件を与えても、
最初は、好き者同士で学ぶグループもあれば、
一人で学ぶ者も現れる(←ぼくはこのタイプ)。
でも、この二つに属さないタイプもある。
それは、誰かと一緒にやりたいけど、諸事情でできない
1人でやりたいど、その力がそもそもない。
そう、孤立である。
これが『』の闇でよく取りあげられる事例。
でも、その孤立という闇とは別に、もう一つ、闇がある。
それは、暴言である。
助けを求めるために、できる子達のとこへ行くんだけど、
いかんせん目先の課題達成にだけ意識が行ってるから
理解なしについつい丸写しをしてしまう子とかいるじゃない。
正義感ある子は、こう突っ込む。
「結局はさ、『自分で考えないと』、だよ」
そうそう、その声がけ大事だよ。よくぞ言ってくれた。
でも、その言葉を1発、2発、あるいは定期的に言ってもなかなか響かない子は存在するわけです。高校生段階だと、その事実を認められない子も一定数いる。
ぼくも高校生の頃に同じ状況にいたら、取り乱すだろう。
「これだけ言ってんのになんで響かないんだよ!」、と。
その感情からか、強い口調によるアドバイスへ。
まわりの子たちも便乗して突っ込む。
ついには、善意あるはずだった彼らの助言は
突っ込みを通り越して、耳を塞ぎたくなるような悪口へ変貌する。
傍から見たら袋叩きに近い、そんな状態。
普段のその子の優しい性格がソレを許す雰囲気を生んでるのかもしれない。
『』と関係ないけど、ぼくも自分の感情とは真逆の反応を示していた時期があったからわかる。
内心、怒り・悲しみで満ち溢れていても、それをまわりに悟られたくないから偽の表情(笑み)を披露していた。感情と表情の乖離。
だから周りに「あ、こいつまだ平気そうだな」と判断され、度が過ぎる言動をされたことがあったなぁ、と過去を急に振り返ってみる。
話は戻って。
これまでの『』を通して、その子は「誰かに聞きに行く能力」は習得した。
大きな成果だと思う。
でも、そこからは目に見える進化は当分ない。プラトー期に入ったのだ。
つまり、根本的にぼくを含めたまわりの子たちの対応が間違っているのだ。
ぼくもそうだし、まわりの子たちも、今が踏ん張りどころなのかなと思う。
ぼくはどう全体(上位2割)に語り掛けるか、
そしてそれを受けた人たちはどう動くか。
ここのトリートメントを怠ると、
全体の雰囲気は絶対悪い方向へ向かう。
なーんて、今起きてることなのか、それとも未来で起こりうることなのか、はたまたぼくの脳内で勝手に編集された架空の事例なのかは知らないけど、その対処に対する不安と期待でソワソワしている。