結局は腐れ縁

『一人も見捨てない』という言葉は拡大解釈されがちだ.

 

え!?あんなに豪語しといて見捨ててるやん!

 

て.

でも、条件ってあると思うんです.

 

西川先生の場合,自分の研究室に所属しているうちは,

無限にどんなことでも許す方針にしている.

つまるところ,研究室を巣立ってからは,

条件付きでOBOGであっても見捨てるらしい.その条件とは,,

短期間で大きな過ちを二回犯すこと

だそうな.

この場合,メール,SNS等,一切の関わりを断つんですって.

 

ポイントは,短期間で,というところ.

自分の記憶に新しい状態でまた犯すということは

おそらくキリがないわけだから.反省の色がないというわけです.

 

今までに2人だけいたそうです.

ただ,その「2人いるよ」と言ったときの顔は

どこか清々しかった.

 

憎しみというようなものは全く感じられず,

なんなら笑って話してくれていた.

 

許せる許せないという次元ではなくて,

確固たるルールで見捨てているのだなぁと思った.

 

見捨てると言っても,

西川先生との直接的なつながりは断たれるわけですが,西川先生とつながっている人とつながれば間接的にはつながっているわけですから,実質見捨てられてはいないんですがね.つまり,つながっているんです.

 

そう考えると,一度誰かとつながって,なんかあってその糸を切ることになっても,その糸の反対側にある糸とつながっている人がその人の知り合いだった場合,なんてことある.

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そう考えれば,この世に,

「見捨てられる」という状況はなかなかない.

 

ただ,つながっていても,

そのつながり自体、糸くず程度に弱いことはめっちゃある.

 

世の中はそんな感じ.

「そんな感じ」をぼくはなんとかしたい.