教員の重すぎる想い

業務が多く,大変そうな教員を見ていると,

みんな共通して「こだわり」を持っていた。

「手の込んでる」が表現としてはしっくり来るかもしれない。

 

子どものためを想っての教材。

 

子ども・他の教員を想っての校務分掌。

 

 

どれも確かに大事です。

ただ,果たしてそれは,その「想い」通りになっているのだろうか。果たしてその「想い」は,彼らに届いているのだろうか。

 

ぼくは,冷めている人間だから,

実は心の中でそう思っていたりする。

 

本当は,

「そこまで時間かけなくても大丈夫ですよ,

これは適当にちゃちゃっと終わらせていい業務ですし」

「何よりも大事なのはおそらくあの業務だと思います!」

と新任のくせしてアドバイスしたい。

 

でも,事実,そういう仕事術的な考え方は昨年度所属していた研究室で2年間学んだわけでありまして,ちょっとは自信があったりする。

 

そういう意味では,

蓮舫議員のように思い切った「仕分け人」として,ぼくにいろいろ判断させてください,なんて馬鹿げたことを考えたりする。

 

長い物には巻かれておけば安泰だけど,本当に意味が感じられないものだと身が入らないだろうから,そのうち自分の考えも提示して,業務削減に向かえることを夢見る。

 

こんなぼくだから,以前,上記の思考で物事を判断し,発言したら,「もしかしてB型でしょ?」と尋ねられた(笑)

 

ぼくと接したことがある人ならおわかりでしょうけど,

生粋のA型です。

 

細かいときは本当に細かいし,

まじめなときは本当にまじめだし,

まめなときは本当にまめです。

 

ただ,「明らかに意味がない」というものに関しては,雑というか大胆な処理をしようとするだけなんです。