ぼくが点数に拘るとき
そういえば勤務校も
定期テスト期間に突入しました。
懐かしいね,数日間に分けて行うあの感じ。
午前中にはテストが終わってしまうもんだから,
昼以降の過ごし方は自由だった,部活もなかったし。
仲いいイケイケ男女のお友達同士,勉強する名目で夕方まで残るんだけども,結局おしゃべりして時間がすぎていくこともあったね。
ぼくはそれを青春とよんだ。
あ,もちろん,ぼくはそのタイプの人間じゃなかったので,テスト後早く帰る日もあれば,男友達とちょっと駄弁ったのち帰る日もあった。家に帰って勉強するかと問われれば,実際そんなことなくて,寝るまでボーっと過ごしてみる。
なんだろうね,テスト期間中のあの「自由時間」。
本当に空虚であり,謎に寂しくて,無性にイライラしたりして,自分でもよくわからない複雑な感情があったんですよ。
そういう意味では,高校時代のテスト期間,
めちゃくちゃ嫌いでしたね。
「なんやねん,この感情!」という変な違和感。
ぼくはそれを思春期とよんだ。
話の序盤からめちゃめちゃ脱線してたね。
ぼく,今の勤務校では,いろんな学年・クラスの英語科を受け持っているので,テストは種類的な意味の数で言ったら結構作りました。
テスト終了後,さっそく丸付けしてみるのだけど,生徒みんな,思ったより得点が高くて,平均点の設定を超絶ミスったなぁ,と少しばかり後悔。
まあ,とは言っても,
正直,テスト自体にあまり価値を見出せてない自分がいるのも確かなわけですよ。
今こうして君たちが受けて,点数を付けられているテストは,大人になってからは紙切れ以下の,どうでもいいものになってしまうのになぁ,なんて思ったりもしている。
実際そうなんですね。
みんながみんな,英語の分詞構文だったり,数学の三平方の定理,理科に出てくるミジンコのサイズ感とか,大人になってから使うかと問われれば答えはNoなんですね。
そして現職の教員に同じ質問しても,自信もって理論立ててYes!なんて言える人,ほとんどいないわけですから。
学ばなければならないものって,人それぞれ違うのになぁ,と思う。
だから,そんなテストなんかで,できたかどうかなんてどうでもいいのになぁと。
一方的な「これは学ぶべし!」が,
どうやら好きじゃないみたい。
とはいえ,大学に入った後に学ぶリベラルアーツは,これから研究していく大学生にとってはめちゃめちゃ大事だからしっかり学んだ方がいいよ,なんて実は思ってるのでどっちだよ,とセルフツッコミしている有様ですが。
ケースバイケースってことにしとう。
そんなぼくがテストの点数に拘るとき,それは,
『学び合い』を(実践し)始めたときだろうね。
この場合,平均点を見るのかな。
「クラスに置いてけぼりがいたかどうか」を測る,一種のバロメーターがソレなわけだから。
極端なフタコブラクダ状態だと,「システム管理者のぼくが悪かったのか..もうつらい..」とへこむだろうけどさ。それはそれで,良い経験になるだろうし。
まあまあ言うてますけども,
生徒諸君,残り2日くらいかな,
テスト,ファイト。